nobuo

ミュウツーの逆襲 完全版のnobuoのレビュー・感想・評価

ミュウツーの逆襲 完全版(1998年製作の映画)
3.8
鑑賞1400本目。思い出深い映画なので感想長くなりました。
現在アマプラで配信中なのはこちらの完全版。がっつり変わって(足されて)いたので少し驚いた。ミュウツーの子ども時代のエピソードが長めのプロローグとして挿入されてます。尚、個人的ポケモン映画最高傑作は「水の都の護神」。

俺の記憶の限りでは、本作のオリジナル版が最古の劇場体験だった。多分その次がファントムメナス。当時、子どもながらに「雰囲気重いな」「殴り合いを見るのが辛い」「サトシ石化→復活はご都合主義だろ...」「小林幸子の歌で感動」等、良くも悪くも歪な映画だったという感想を抱いたのを覚えている。

そして大人になってから脚本家の故・首藤氏のコラム(http://www.style.fm/as/05_column/05_shudo_bn.shtml)と“完全版”の存在を知り、映画に対する見解が変わった。こちらも良くも悪くも。


良い意味での見解の変化は、子どもながらに感じた“子ども騙しではないテーマの深さ”が伝わった事。市村正親の好演もそれを後押ししている。
悪い意味で新たに感じた事は、首藤氏が込めたかったメッセージは映画“だけ”でちゃんと伝わっているのか?という事。


例えば、以下に引用するコラムの文章。

「ミュウは、自分のコピーであるミュウツーを無邪気そうに見えながらせせら笑っているのだ。だが、無邪気そうだが、コピーであるミュウツーには負けられない。負けてはならない本物のポケモンである自負がある。」

このミュウの悪意にも近い心情を本編の描写(ニャースの通訳)のみで理解するのは無理がある!山ちゃんがどれだけ演技達者でも限界が有るって!
説明過多な映画は好きじゃないが、内容を読み解く為の必須事項が含まれていないのもどうか。ストーリーの真相を知るのにサブテキストが必須な映画はズルいと感じる。「ドニーダーコ」観た時に同じ感想を抱いた。


追加エピソードは原作キャラ・フジ老人(シオンタウンに居た人)の人間の業が伝わってきて中々重い。子どものクローンを創るのは良くある話だが、意識体風の抽象的ホログラムを娘扱いするのはエグい。
ただ、本編に絶対必要だったか...と言われると微妙。通常版だけでもミュウツーの怒りは十分に伝わるし、フジ老人の目的も“最強のポケモンを生み出す”“娘を甦らせる”という二つがごちゃ混ぜ・曖昧になっており納得し辛い。前日譚のドラマCD・後日談のテレビSP(「我ハココニ在リ」)を観れば納得がいくのか。



本編とは無関係だが、首藤氏コラムの「幻のポケモン映画三作目」は一読の価値有り。ティラノサウルスの化石が動き出し世界が大混乱に陥る...という、アニメ版ポケモン世界観の真相に迫ったパニックスリラーだったそうな。
化石は何を目指していたのだろう?全てを薙ぎ倒し、何処へ向かっていたのだろう?
首藤氏亡き今、その真実が明かされる事は無い。答えを知りたい...!
nobuo

nobuo