Jeffrey

北京の天使のJeffreyのレビュー・感想・評価

北京の天使(1992年製作の映画)
3.5
「北京の天使」

冒頭、蒼空高く風に靡られる凧。六才の孫とおじいちゃんの郵便配達の仕事。赴任先のベルギーから帰宅した母親。躾に厳しく、心はすれ違う。誕生日カード、心臓病、近所の女の子、モルモットの死。今、蝋燭の灯火の中へ…本作は一九九二年に中国の女性監督ワン・ジョルジョンが監督を務め、日本では二〇〇二年に全国劇場公開された後に、VHSのみが発売されそこから円盤化されてずに知名度が全くない傑作で、この度中国映画特集をYouTubeでやるため、この廃盤ビデオをなんとか入手し初鑑賞したが素晴らしいの一言。内容は郵便配達員の祖父とその孫の触れ合いを描き、一人っ子政策と、急速な経済発展によって変貌する家族のあり方にフォーカスした作品。本作は、ベルリン国際映画祭を始めオランダ、イラン、アメリカで最優秀作品賞並びに監督賞などを受賞している。これは「ニュー・シネマ・パラダイス」と「ポネット」など好きな人が見ると気に入るかもしれない。

さて、物語は両親が海外で働いている六歳のチェンチェンは、北京の古い住宅街で郵便配達をしているおじいちゃんと二人で暮らしている。心優しいおじいちゃんとチェンチェンが自転車をこいだり、二人で暮らしている。心優しいおじいちゃんとチェンチェンはいつも一緒。凧の糸にくくりつけて天国に手紙を出したり、おじいちゃんを乗せてチェンチェンが自転車をこいだり、二人は楽しく生活をしている。ところが、母親が赴任先のベルギーから帰国すると、そんな生活に変化が訪れる。躾に厳しい母親は今までのような自由を許さず、母子の心はすれ違う。母親と一緒に出かけるよりもおじいちゃんと一緒に郵便配達の仕事についていこうとするチェンチェン。悲しみに暮れる母親の姿を見て心を痛めたおじいちゃんは、自ら一人離れて暮らす決心をするのだが…と簡単に説明するとこんな感じで、六歳の子供とおじいちゃんの心温まる日々、そして別れを描いた感動作である。



いゃ〜、冒頭からすごい不思議な感覚の描写で映る。なんてことのない凧が空高く舞い上がるショットで始まるのだが、そこから綺麗な声で唸る様な歌が聞こえる中、おじいちゃんと孫が現れ、孫がどうしても自転車をこぎたいからといって、じゃんけんをしておじいちゃんが負けちゃうから、自転車をこいで北京の街に繰り出すんだけど、その時おじいちゃんは自転車の後ろに座っていて、街の人々が小さいのにこいでいて感心するねと北京の人々を捉え、街並みが写し出されるのだが、すごく物静かでゆっくりと時の流れが感じれる。その後に自宅につき、日本のアニメ一休さんを見ていながらニコニコ笑ってる子役の姿が何ともほほえましく可愛い。病院でおじいちゃんがベッドの上で死んだふりをしてて本気にしたチェンチェンが大泣きして、冗談だよって言っても彼が怒っちゃって出て行ってしまうシーンは可愛らしくもかわいそうである。

十二階のマンションにまで手紙を送り届ける場面で、おじいちゃんが息切れするのだが、そんなに階数があるマンションにエレベーターのようなものがついてないのかとツッコミたくなるが、その後に母親と一緒に住むことになって、ペットのネズミを母親が見て、嫌な顔をしたためおじいちゃんがすかさず、孫に友達がいないからこのネズミをおじいちゃんに預けてくれ的なことを空気で伝えて、おじいちゃんがそのネズミを持っていく場面とか印象深い。そして食事時に、そのネズミを持ってきちゃって、またすごい嫌そうな母親のクローズアップ、それを見て机の上から下ろすおじいちゃん、自分の食べ物の野菜をネズミに与える子供、母親の圧力の空気感がやばいワンシーンだった。そんで茶碗まで舐めて食事をする少年に母親が茶碗を舐めるのはおよしなさいと厳しく言って、少年がおじいちゃんだって舐めるよーと言って気まずい空気感もやばかった。

そんでもっと気まずいのが、幼稚園から自分の息子を迎えにおじいちゃんと母親が来るのだが、息子がー番最初に近寄ったのは母親ではなくおじいちゃんの懐だったのを見て怒りとショックが交わる母親のクローズアップもすごい印象的。その後におじいちゃんが一緒ならもっと楽しいのにと息子に言われてしまって私はお前と一緒にいたいんだと言う場面もなんとも複雑。そんで来年からはピアノの稽古だったり今飼っているモルモットを捨てなさいと言われてしまう始末だ。そんでおじいちゃんと一緒に郵便配達をしているのか、自転車に乗りながら孫がおじいちゃんのお母さんは優しかった?動物好きだった?などと色々と聞いてくる場面も印象的。そんで帰宅後に、外に捨てられていた自分の大切なおもちゃだったり、おじいちゃんと一緒に空高く上げた凧が捨てられているのを見てショックを受ける子供。そんで家を開けた瞬間、今までの部屋とは変わっていて、ものすごく現代風になっており、スリッパをはけなどと色々とルールが作り上げられていた。

そんでわざとではないが、ベランダに置いていたモルモットのゲージを下に落下して、血まみれに死んでしまっているモルモットを見てしまった息子が大号泣しながら糞ママ、悪ママと母親に暴力を振るう場面はなんとも言葉に表せないシーンだった。そんで今度は中華様式からフレンチになって洋食にも慣れてとお母さんが言って、箸からフォーク、ナイフに変わり、それを使いながら外国風のご飯を食べるのだが、死んでもういないモルモットのゲージを机の上に持ってきたり、、すでに中には何もいないのにパンくずを与えたり、話しかけたりし始めて、この子供サイコパスかよとツッコミたくなるほど逆に怖い感じがして笑ってしまった。母親がわざとじゃなかったのよーと何度も謝ってるのに、今度はその息子がにっこりと笑い初めてカットが変わるのもなんとも恐ろしい。

そんでいよいよおじいちゃんが元の自分の家に戻る所になって、それを孫が知り、家を飛び出しておじいちゃんの所まで歩道橋渡ってー人で行くんだけど、それを後から母親が追いかけて、自分の子供の気持ちを知って、涙するシーンは感動的である。そしておじいちゃんの誕生日と言うことで、近所のおもちゃ屋さんというか雑貨屋さんで、音の鳴る誕生日カードを購入しようと貯金箱を持ってきて、買おうとしたがお金が足らなくて、困惑していたが、店員のおばさんが優しく、その金額で譲ってくれて、おじいちゃんのところに行って、この作品は大団円を迎え始めようとするのだが、この作品象徴的に凧が扱われている分、タイトルを"北京の天使"ではなく、凧を入れたものにすればよかったのになと思う。確か九〇年代に中国映画の傑作の一つ「青い凧」がある様に…。でも、原作も確か天使的な漢字が使われていたような気がした。クライマックスの幻想的な蝋燭の灯のワンシーンは非常に胸にくる。それまでほとんど静寂な中、音楽を流されてこなかったがクライマックスでは存分に使われている印象がある。エンディングはすごい独特な感じがした。見ればわかると思うけど。
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