tada

万歳!ここは愛の道のtadaのネタバレレビュー・内容・結末

万歳!ここは愛の道(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます



これがドキュメントかそうでないかとか、どうでもいいことなのかもしれないけど、でも台本のない映像ならそれはそれで、この人たちにとってカメラの目の存在ってどうだったんだろうな〜って考えてた。彼女が倒れたときにカメラをちゃんと向けたまま身体を支えたり、買い物いく時にポンと部屋の中の彼女を撮るために置いといたりさ。例えば私は写真ばっかり撮っていたら、いまここの感覚が薄くなってしまったりしたんだけど、そういうのないのかな、とか。

前半は、友人たちと重ねて見てしまって、いやでもやっぱり現実って泥沼だし、この映画もただひたすらに泥沼だったら辛くて見てられないかもという気持ちだったんだけど、後半に行くにつれてここは作ったんじゃないかなってところが増えて、そのおかげで画面を画面として観れるようになった。だからこの映画においては「※これはフィクションです」っていう印が見えることが私にとって多少の救いだったし、多分石井監督(という役)にとっても救いだったんだよな、特にラストに関して。まあでも見る人は気楽でいいよね。簡単に救いなんか求めちゃってさ。

あと石井監督(役)が制作うまくいかないなってなって、メイに居場所を求める(のを当たり前として罪悪感とかない感じで映画におさめてる)のはリアルだなと思ったけど、あそこが一番のねじれポイントでラストの悲劇を回避する脱共依存の最後の(映画的な)チャンスだったと思うから、ラストの結末も含めてそこをどう捉えるかだよなあ。これからも制作がうまくいかないやって感じなら、彼もそのうち後を追わざるを得ないし、というかもしこの物語に閉じこもるんなら彼女を追わないと彼は形を保てないよね。。映画的結末としては、映画に完全籠城、映画に埋没ということで、観客は宙に浮いた(というか投げ出された)形だけど、映画は終わった。のが良かった。
あとなんか、彼女も作り手っていうのはポイントだと思った。自分で生きる術を持ってるし知ってるんじゃないかな。トークで思ったけど、福田監督自身は言葉が確かで自分の言葉で語る術を知ってるんだろうな。(私も福田監督が今後撮るんならそれを見てみたい。)逆に言えばこの映画の中で、彼女(の役)はそういうところがあんまり出せなかったから、ああいう結末に進まらざるを得なかったのかもしれない??

あと2人が監督だから、こうやって本人として?本人役?同名の役?として映画にできるのかもなあ。俳優には色んな意味でできないことだし。

・というか監督同い年だった!か、早生まれじゃなかったら一個下。いや、同い年くらいだろうなとは思ってたけど、同い年。
・最後、川、紅い顔、で志賀理江子の永遠の現在のあの男の人じゃん!!となった、違うけど
・そして、パンフの写真がめちゃくちゃいいじゃんと思ってたらRyu Ikaさんだった。デザインも星科陸さんだしで思わず買っちゃった。好きすぎるなあ。あとこのwebのポスターの色、ちょっと茶色がかってるけど、劇場ではもっと濃い血みたいな赤なんだけど、もしかしたら劇場は生で、webは映画から遠いからちょっと乾いた血の色なのかな、とか

ちょうど今朝、武蔵野館で見た森山大道の映画で、森山大道が中平卓馬の命日に、以前森山が中平に貰ったらしいケルアックの小説、のTシャツを着ていたんだけど、そのタイトルがOn the Roadで、この映画の英題も多分On the Road to Loveなんだよな。私は今日導かれるように見たってことなんだろうな。
tada

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