このレビューはネタバレを含みます
そこそこ好き
「いつだって親の真意は伝わらないものだし、親の思惑はいつも正しいってもんでもない。でも本音でぶつかりあえばなんかやかんや良い関係になれるよね。」
そういうテーマの映画は、僕の人生を全て費やしても見尽くせないくらいにはありふれている気がする。
そんなわけで、個性を出すためには何かしらの要素を加える必要があるのだが、この映画におけるそれは少しのミステリー要素だ。
テレサがわざわざイザベラをNYまで呼び出した理由、20億もの寄付金を提示する理由、割れた鳥の巣と卵を大事にしている理由、などなど。
上2つについては、ミステリー感が強すぎてアクセントのレベルを超えている気がした。かといって、ミステリとして見るようなレベルでもない。そこがなんかうーんって所かなあ。
さて、ちょっとすぐには理解できないのが鳥の巣と卵はテレサにとってなんの象徴だったのだろうかということだ。
何となく鳥の巣は家で、卵は子供、母鳥が自分と考えるのが普通な気がするが、僕はそうじゃないと思う。
彼女は母鳥にではなく、鳥の巣を支えていた樹に自分を見立てていたのではないだろうか。
鳥の巣と卵を天敵から逃れさせ、生きていく前提を支える存在の大樹、それが彼女にとっての母親像だったんだろう。
だからこそ彼女は新たな大樹を必要としたし、割れた卵を直さずにしておくことで、絶対に失敗してはならないと自分自身へ言い聞かせていたのだと思う。
しかしながら、イザベラとジェイの関係のように、必ずしも親の思惑は子供に伝わるものでもなく正しいものでもない。
イザベラの知らない間に、孤児院に鳥の巣ができていたのは、ジェイがイザベラではない何かを人生の支えとしていることを隠喩していたのではと感じる。
テレサの子供たちが母親という大樹を必要としていたのかは描かれないが、彼女の精一杯の行動はそれそのものが子供たちにとって大切なものになったことを祈るばかりだ。
そうそう、あんま関係ないけどテレサが余命いくばくもないことを知ると冒頭の「The Edge Of Glory(崖っぷちの栄光)」も中々暗示的な気がするね。