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マトリックス レザレクションズのparsifal3745のレビュー・感想・評価

5.0
 初回は、レビューを見て、評価が二つに分かれていたので様子見していたところ、YouTubeのツッチさんやたてはまさん等のレビューを見て、映画館で見ることにしました。マトリックス三部作は、自分が一番凄いと思っている映画です。今回、久々に二度目の視聴。初回とは、また少し違うところに気づくことができました。
 マトリックス三部作は、AIやPC的な視点から世界の更新という見方も面白いし、東洋哲学的な視点からも、国際政治的な視点から見ても面白いです。電力不足による人間とマシンシティの争いは、エネルギー(石油や天然ガス等)をめぐる表の世界と闇の勢力との争いと置き換えられるし。前の三部作では、因果や論理でアーキテクトされていた世界が、レザレクションでは、感情、恐怖や欲望で精神科医に設計しなおされていた。現在の世界が恐怖と不安によって操られるようになってきている。今回、バレットタイムは控えめになって、それを着想にして、黒猫と共に時間を自由に操ることができるようになっていた。これは、世界をデザインする側が、現在と過去を自由に現実を書き換えることができるようになっているとの暗喩かもしれない。
 今作、ラナ・ウォシャウスキー監督が、両親が他界して悲しみを紛らわすためと、映画会社から続編を作るように圧力をかけられ、自身が作らなければ他の者に作らせると言われて、無理に作らせられたというのが内情らしい。
 本編の途中、マトリックスⅣのゲームを作成するという時に、周囲から様々な意見が投げかけられるシーンがあるが、その内容から、マトリックスが、あくまでもゲーム(映画)の中の世界であって、現実との関係性はないような一般の意見が示される。しかし、自分が思うに、マトリックスは、現実の世界をたとえ話にした映画であったはず。いつの間にか、三部作が独り歩きして、それらに監督が振り回されているようであった。アンダーソンは、監督自身の体験を映し出しているのだ。周囲の人々振り回され、精神にダメージを受けて、セラピーを受け、青いカプセル(真実に目を塞ぐ)を服用する元気がないネオと、マトリックス三部作後、元気がなかった監督がだぶって見えた。
 三部作後、世界は大きく変わり、イラクへの派兵、アフガニスタン侵攻、3.11が起こり、多国籍企業やGAFAが世界を席巻し、メディアは完全に統制されるようになった。それが、この映画を作る理由であったのだと思う。
 マトリックスとは、人間から自由を奪い、役割を押し付け、刺激や欲望を煽り、恐怖や不安から利益を最大限にするために個人に降りかかってくる全てのシステムと監督がいっているように感じた。それから自由になり、男女や人間同士の愛のエネルギーをモチベーションにして、生きることこそが真実の生き方であり、覚醒することと言っているように自分は読み解いた。
 ネオに、「自分は救世主なんかではない」と本作では言わせている。実際、ネオの力は、(青い錠剤のせいか)飛翔する力はなくなっていた。また、救世主をサポートする仲間は、ゲーム(映画)等を通してネオを知った若い世代。彼らの活躍で、ネオとトリニティが再び力を取り戻すまでの過程は、普通の人々の力を借りないと、大きな目的に達することができないという示唆のようだった。これらから、マトリックスから自由になるためには、一般大衆が覚醒して連帯して、自由を求めて戦わなければならないと言っているようでもある。スオームは、覚醒していない一般の群衆を表しているのだろう。
 それは、ネオとトリニティの覚醒のシーンにも見て取れた。我々を取り巻く現在の生活を維持し、世俗の関係やしがらみを大切にすることよりも、自分が真実と思うものを選択することの方が重要だと。
 また、ネオやトランプ大統領など、特別な存在を崇めたりするのではなく、自分自身がマトリックスから自由になるためには、何かに依存して生きるでのはなく、内的に価値を感じて生きることが重要なのだと言っているようにも感じた。最後の精神科医のセリフから、それらが透けて見えた。
 また、新たな力という概念が「アイオ」で出てくるが、自分は、ネオとトリニティが融合することで生じるエネルギ―ではないかと感じた。東洋哲学では、クンダリーニ覚醒という覚醒が有名で、性的なエネルギーが極まって上昇し、チャクラを開かせることで、人間の能力や価値観が飛躍的に高まるという考え方がある。リリー・ウォシャウスキーもラナ・ウォシャウスキーも男性から女性に性転換をしたこと、今回、トリニティに覚醒をさせていること等からも、両性のエネルギーを如何にして統合するかが、人間に大きなパワーを与える鍵だと言っているようにも思えた。しかし、性転換は、普通であれば周りのすべてが反対し、誹謗、中傷されるだろう。終盤のスオームが襲ってきた部分は、監督が実体験で感じたことを映像化したのではないだろうか。
 監督自身の周囲の狂騒も同時に描こうとしながら、コアなマトリックスファン層の応援の後押しも感じていたのだろう、皮肉、ユーモア、遊びが効いている。
 最後、ゲームも映画も物語も死んだ。「メディアっていう物は、刺激と洗脳が全てなんだ。」ここに監督の最大の本音が詰まっている。その洗脳から逃れるための譬え話として、マトリックスという映画は存在しているのだと自分は思っている。

 ※補足 mRNAのコロナワクチンは、米の軍が開発した遺伝子操作による生物兵器であるとリークする動画があって、ネオが青い錠剤を服用しているので繋がってしまった。ネオが力を発揮できなくなった理由として描いているのかもしれない。現在の世界は、強欲な闇の勢力によって、完全にメディアが統制され、洗脳されていると思っている。それが「マトリックス」という映画の意図するところであろう。
 続編を強制されて作ったけれど、監督の体験や本音を、たとえ話として盛り込んで、わかる人にはわかるって映画。メディアの洗脳から逃れて、一般大衆も含めて覚醒・連帯して、支配者の恐怖による支配を見破ることを促しているように感じる映画であった。

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