古川智教

バーニング・ゴーストの古川智教のネタバレレビュー・内容・結末

バーニング・ゴースト(2019年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

死者が思い出のなかに消えていくのは、死者自らが思い出となることを受け入れたということである。自らが思い出となることをどうしても受け入れられない場合、もうひとつ別の道がある。それは自らが生者の夢、生者の幻となることを受け入れる道である。

死者から他者の幻になることへの転移。それが鏡に向かい合っても、後ろ姿しか映らなかったのが、映画の最後の水鏡では自分の顔が正面から映ることで、水中に引き摺り込まれ、這い上がったときには生者が見えなくなっているシーンで示されている。見られることなく見る側=死者から、見ることなく見られる側=他者の幻への転移。

死んだ者が生きている者の幻になることへの転移。自らが生きている者の思い出となり、幻となるのを受け入れること。見えるものと見えないものの交差、生者と死者の交差、交わるものと交わらないもの交差がそうした転移を促していく。

アガトの祖母の話。祖父が銃殺される前に祖母がついた「処刑人を買収して、銃にこめる弾を空包にしてもらったから、死んだ振りをすればいい」という嘘によって、祖父は死ななくてよくなったと安心する。今ここが天国であると語る。これは何を意味するのか。幻によって、人は死ななくなる。幻を見るからではない。幻を見るだけであれば、それは自分は幻ではないと思っていることになる。幻ではない自分が幻を見ているという風に。そうではなく、自らが、自らの存在自体を他者の幻とすること。それを受け入れること。そうすれば、決して死ぬことはない。そここそが天国の所在地である。

映画は見えないものの側で語ることを可能にする。
古川智教

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