キルキルマキル

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のキルキルマキルのレビュー・感想・評価

3.7
まだ誰も解き明かしてない価値観を言葉と論争を持って解き明かそうとする姿勢に、圧倒された。

三島由紀夫のこと、戯曲くらいでしか知らないから、取っ掛かりになればな。くらいの気持ちで観に行ったのだけど、千人の学生たちの前で彼らにリスペクトを表し続けて、自分の弱いところまで認めつつ、ユニークさを持って語る彼の姿勢の真っ直ぐさよ。
右翼とか、左翼、という言葉は時代とともに変容してしまったけど、その垣根を超えて論じようとする機会がまず素晴らしいし、現代において”会話”が持つ力が相当衰えてしまったんだなと残念になった。

正直、特に興味のなかった学生運動という歴史を知る上でも、良い映画だった。はじめの頃の存在が何かと論じるところは、眠くなってしまったけど、藪から棒に本題を語らないのは、「俺たち、共通言語を持ってるよな?」「難しい定義付けの話でもリスペクトしあって語らうことができるよな?」という儀式的なものに感じた。

ピリピリとした教室に、赤ん坊を肩に乗せながら語る芥氏がカッコよすぎて惚れた。特に三島と芥氏は、弁が立つだけじゃなくて、話を聞こうとする力の強さが際立っていた。人の話を聞いて、受け入れようとするのって、強くないとできないことだと思う。それができず、自分の話の論点すら見えないまま主張し続け、三島を置いてけぼりにする学生の話を笑いながら、でもどこか見に覚えがありそうな顔で聞いている彼の横顔が印象に残った。
ショートホープを返し忘れたことを語る芥が芝居かがってて、この人もまたかっこいいナルシストだなと思った。

三島由紀夫の天皇至上主義には、同意できないけど、天皇という神様を見て思春期を過ごしてきたのに、ある日突然それがなくなったポッカリと空いた穴は相当大きいものだったんだろう。その思想が認められないなら、死んでやるという意思は、凄く理解できた。
そして、生き残った全共闘の方が「運動は終わっても覚えていることが必要。死んでしまったら、その記憶を覚えてられないからねぇ」と言っていたのと、芥氏が「私は負けていない。私が今も息をして、自分の言葉で喋っているからだ」と言っていたことに、とても説得力があって、改めて自分がこの世界で生きていく闘争心と自分の思想に対する責任感が湧いた。

ナレーション下手だし、何喋ってるかわからないまま喋ってそうな声だなーと思ったら、東出さんかぁ…。多分東出さん好きな人でも、この映画観に行くきっかけにはならないだろうから、ちゃんとしたアナウンサーとか使ってよ。割と不愉快だった。これこそ”あやふやな猥褻な日本”ならぬ”あやふやな猥褻な映画業界”を顕してしまっているようでとても残念。(こんな前提条件つけるのも嫌だけど、ほんと色んな感情抜きにして実力不足という点でね!羽生さんやった彼は好きだったよー)

あと、わたくしごとだけど、400個目のレビューだから、なんかいい映画見よう~って思ってたのに、忘れて見ちゃったので、こだわり忘れて、早くハッピー・デス・デイでもみたいと思ってます…。