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マウンテン・オブ・ゴールドのpluviaのレビュー・感想・評価

4.6
JオースティンとTハーディの小説、Mデュラスの『ラマン』が好きな方、19世紀アジアに興味がある方へ オススメしたいです。
すごく好きでした。(ジャケットは印象違い)

原作は『闇の奥』(『地獄の黙示録』)で著名なジョゼフ・コンラッドの、1895年に書かれた処女作『オルメイヤーの阿房宮』


1830年 マレー半島、オランダ人のオルメイヤーは一攫千金を狙って金鉱をさがしている。現地人の妻との間には娘(ニーナ)がいる。
ハンモックに乗ったオルメイヤーは、尻尾の長い猿を飼って可愛がる。
娘ニーナに西欧式の教育を受けさせるため、シンガポールへ無理に行かせたことで、娘と引き離された妻は発狂。
金脈も発見できず10年が経ち、荒れた暮らしの家に、美しく成長したニーナが戻ってきて事態が動きだす…。


<時代背景>
⚫︎オルメイヤーの生まれは、シンガポール。両親も祖父母もオランダ生まれだが、本人はオランダの地を踏んだことはない。
オルメイヤーの生まれた頃、オランダ東インド会社は、衰退していながらも存在していたか解散した時期。

⚫︎1800年代初めのマレー半島は、ジョホール王国(イスラム教の国)が統治していた。
(現在のマレーシア、シンガポール、インドネシアの一部にあたる地域を収めた)ジョホール王国から許可を得て、ほぼ撤退気味だったオランダの代わりに、イギリス東インド会社の交易所が設立された。
その後、シンガポールはイギリスの統治下になる。

⚫︎オルメイヤーの妻は、自らをマレー人と呼び、西洋化を求める人に対して豚肉を拒んだと話している(イスラム教の影響を受けている。祈りの場面は一度もない)。

⚫︎物語の1830年と1840年は、現在のシンガポールとマレーシアの一部(ペナン、マラッカ)がイギリス植民地だった。
特にシンガポールではイギリス人が増加し、イギリスの東洋における要所となっていた。
(娘ニーナが入った学校はシンガポールにあるが、この田舎の場所はどこか判らない。あらすじではマレー半島の物語となっている)

⚫︎少なくても原作では。 場所はボルネオ(マレー半島の東方にある島)のタンジュンレデブ村をモデルに書かれたとなっている。
デインは、バリ島のマラヤ王子。

(↑ Wikipediaの日本語と英語版を参考に書いています)
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