ねぇ素晴らしい

スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバースのねぇ素晴らしいのレビュー・感想・評価

4.1
――ゴホッ、物語……?とかさかさした声。
――ええ、物語は我々が何かをしようとするときに重力のような働きを常にしてきました。ゴダールでもみなもと太郎でもリンクレイターでもいいですけどさ、遍中心的な作品はこれまでたくさんあって、しかしそれらはどれもマルチバースではない。ただの一度もそうであったことはなかった。千葉真一。代わりにマルチバースという言葉で直接世界観を構築することで苦節50年ようやくフランクに受け入れられるようになったという……お待ちを。

そのエピソードで初めて顔を出したレッドスーツは必ず死ぬ。

ロードとミラーはキーを叩いて、マイルスに振り返らせてこう言わせた。
「そろそろ決心はついたかい? まだ? わかった。じゃあ、おれがやるよ」
そのとたん、たくさんの可能性が洪水のようにスランプのダムを突き破った。

たくさんの可能性って、本当に?🕷🤰☕️絵文字は3178種しかない?それの5乗くらいでパターンが織りなされるスパイダーマンの物語とアニメーション表現。「一億ドルでこんなに尖った……」とも言えるが一億ドルかけなきゃできないものでもある。つねにすでに歴史であるものたち。ベンとピーターは逆でもいい。ゴッホの絵はとっくに動いてるしね。

古川は料理のレシピを通読せずに「世界観」に触れることで雑煮を作れるようになった。ならば、一作目のスパイダーバースは新たな世界観に大枠で触れさせ、今回でその本来の姿を――それも四度も五度も反復して――叩き込んで舌の形をいつの間にか変えてしまえばいいじゃないか。じゃあ次回はついに六時間でも最初から最後まで

というか、時間でも落下でも月に行くのでもなんでもいいけど、まあそれが全部入ってれば一番いいんだけど、レゴムービーがそうだったように情報が示されたり訂正されたり、はたまた出現してしまったり(出現の瞬間をとらえるって超大変だけどね)することだって関数みたいになれるんだから、本当は一般に言うアクションシーンすらいらないんじゃないか。いや、アクションしてるようにみせるのは大事。でもフリだから。

そういえば諫山創ってキャラクターの外観をつくるときMiiみたいにパーツ単位で組み合わせてつくるって読んだ気がする。

もっと言えば、次回作が作られないのが一番おもしろいかもしれない。
ああ、スポットの出自って漫画のリボーンの入江正一とかぶる。もうほとんど覚えてないしWikipedia読んでもなんのことやらだけども、あれもパラレルな選択の話だ。

――いいですか、物語というのは面白いとか整合性とかそういうところをみるんじゃないんです。みるべきはその長さと量の多さです。

引用っぽい書き方って誰が言ったんでもないことでも存在する言葉にみえるし、それが正しいことにみえるね。
でもまだ足りないかも。倍速視聴されてもまだついてこられる。振り切れない!
そうだ、フレームレートはさ、部分ごとに異なっているんじゃなくて異なっているフリなんだよ。そしてそれがまんまと成功している。