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トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そしてのcarrieのレビュー・感想・評価

5.0
周司あきら・高井ゆとり『トランスジェンダー入門』に合わせて鑑賞。トランスの人々がいかに外側から描かれ、そして歪められてきたのかを描いたドキュメンタリー番組。

まず、トランスの人々を中心に、様々な視点からロール・モデルの重要性が語られる。中でも、リプレゼンテーションがいかに軽視されてきたのかという点。例えば、トランス女性の役をシス男性が演じることの問題性は明らかに軽視されており、役者なのだから自分とは違った役を演じるのは当たり前といった言説に横滑りさせられ、トランス女性をシス男性が演じる風潮が軽視され続けてきた。しかし、多くの場合は誤表象であり、トランス女性はマジョリティが理解できる仕方でのみ描かれる。つまり、ハリウッドはトランス女性を「男性性が残された女性」として捉え、男性俳優にトランス女性を演じさせてきたのであり、本作品をそのような流れに意義申立を行っている。メディアにおけるこのような誤表象が、アサインされた性に違和感を抱く人々が自らのアイデンティティを獲得する過程を妨げ、もしくは遅らせてきたという。

トランス女性がいかに外側から描かれてきたかという点について、本作品は「被害者」を転倒させる暴力にも触れる。映画の伝統において、トランス女性は実は男性であったという「暴露」を通して描かれ、またそれらの「秘密」はシス男性たちをいかに傷付けてきたかというナラティヴに回収されてきたという。そこではトランス女性に対する差別は描かれず、トランス女性の「秘密」にマジョリティ側が「ショックを受けた」という経験を過剰なまでに語ることで、いかに彼女たちが暴力的な存在であるかが繰り返し強調される。

また、映画産業におけるトランス女性を取り巻く問題には、トランス・フォビアだけでなくミソジニーもつきまとう。ハリウッドを中心としたメディアの暴力は恐ろしく、トランス女性に対してトランス男性の表象が少ないことは、歴史的に女性がいかに商品化されてきたかを物語るという。

素晴らしい作品。トランスの方たちの経験を「お勉強の素材」として眼差すのではなく、自らの問題として引き受けたいといっそう感じさせられた。中学生くらいで観たかった。
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