百合

シングルマンの百合のレビュー・感想・評価

シングルマン(2009年製作の映画)
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愛しているということ

トム・フォードの自伝か?というか性癖丸出しの作品で…青い目を持つ恋人、抑えられているけれど鮮やかというべき不思議な色調、奔放な男と憧れる私、「透明なんだろ」。
マルセル・プルーストは大作『失われた時を求めて』にて人間の‘無意志的思考’をつまびらかにしたわけですが、この作品も同じ構造を持っています。恋人を喪い失意の日々を送るコリンファースは朝起きた瞬間から、脈絡なく巡りくる自らの記憶にほとんど打ちのめされている。それはまさしく‘襲われる’と言うのが適切で、自分でも制御できないこの‘無意志的思考’に疲れ果てたコリンは自殺を決意するのです。そんな男のある1日を描いた作品。なので作中には頻繁に彼の過去の記憶が挟まれます。それには脈絡のあるものも、ないものもある。人々はすべてのシーンに意味を求めてしまうものなので、これら過去の記憶も割合に納得がいきやすいように作られており、そこらへんも親切設計といったところでしょう。プルーストはもっとめちゃくちゃに滅茶苦茶ですから。
‘自殺を決意した男の一日’をとらえただけの作品なので、さしたるドラマはありません。朝起き、服を着て、電話をかけ、出勤し、苛立ち、講義をし、帰って買い物をして、食事をとり、飲みに出かける。そこで教え子と出会い、ターニングポイントを迎えるのですが、これは本作品のかなり後半のことで、大部分は腹を立てた憂鬱な男の憂鬱な十数時間をおさめただけの仕上がりです。それでもじゅうぶんに見られるのはひとえにその美しさと、作りの上手さと、コリンファースの演技によるものでしょう。なにってもうコリンファースがただひたすらに美しい。噛みしめるようなクイーンズイングリッシュ、隙はないのになぜか危うげな容貌で画面が常に様になってしまいます。なんなんだ本当に。
カット割りが、感情移入を露骨に煽るもので落ち着きがなかったことだけが残念。彼の美しさをもってすればそんなに不安にならなくてもよいのにと思います。
しかしこの作品の絶望は、コリンファースの視点ショットはそれでも色鮮やかであるということでしょう。彼はさまざまなものを美しくとらえています。それは死んだ恋人を彷彿とさせるものに限らず、隣家の風景や話しかけてきた少女や彼の秘書や夕景も、彼には鮮やかに映っているのです。恋人を喪ってもなおそれほどまでの鮮やかさをもって迫る世界にひとりきりで生きるというのは、どれほどの辛苦なのでしょうか。
静かな死を迎えようとするコリンですが、引き金を引くことがどうしてもできません。勢いをつけるために出かけたバーで、教え子との運命的な再会を果たします。「現在は重荷だけれど、今夜みたいなときは違う」と話す教え子に「未来は死だ」と話しながら、しかしコリンは彼とともに夜の海へ出かけます。冬の波間でたゆたうふたりは、ムーンラダーの青い光とともに非常に感動的に映されます。
‘海で泳ぐ’あるいはより簡単に‘水に身体をさらす’というのはキリスト教でいう‘洗礼’の比喩であり、その意味するところは‘再びの誕生’である作品が多く存在します。ただの人間が洗礼を受けてキリスト者として生まれ直すように、作品の中では登場人物は水にさらされて‘生き直す’ことができるのです。
容易にそのようなことを連想させるこのシーンのあと、続くシークエンスは本作品でもっとも希望を感じさせる仕上がりといえるかもしれません。なかなか踏み出せないふたり、自身を「情けない」と罵るコリンファースにはそれまで出てこなかった低俗で共感できる感情さえ見えます。「わたしは大丈夫なんだ」と意識を手放したコリンは、また水に溺れる夢を見て目覚め、そして自身が‘生まれ直している’ことを悟ります。素朴な優しさを持つ教え子に微笑みかけ、遺書を焼き捨てて拳銃をしまい、寝直そうとするのですが、しかしその瞬間彼は倒れてしまいます。
‘洗礼’によって止まった時はコリンが目覚めた瞬間に再び動き出し、そしてまた永遠の停止します。そのことを意味する時計のショットと音。コリンファースはあくまで美しく、死を迎えるのです。
拳銃自殺しないの?と思ったし、必然性の薄い「心臓発作」という要素に首を傾げましたが、このことから逆にトムフォードの「死」への強いこだわりを感じ取った時は震撼しました。コリンファースが拳銃自殺しなかったのはおそらくそれが「美しくない」からで、しかしながら彼は(若干不自然ともとれる原因をもってしても)‘死ななければならなかった’。
愛する男を喪った男は生きていてはならないのです。窓を開けたコリンファースの眼前で、フクロウがいかにも象徴的に飛び立つのですが、「彼はずっと私の胸にいるのさ」的な恋人の消化をして、第2の人生を‘生き直す’わけにはいかないのです。自失であるにもかかわらず鮮やかな数ヶ月の生活のあと、「来るべくして、彼は来た」と悟るコリンファースの悲劇的なこと。ロマンチストで、世界をあんなにも喜んでいた男にさえ、最期にはそのように独白させる。愛とはそういったものなのかもしれません。
全ショットが完璧に美しいので難しいですが、個人的に走り方が妙にダサいコリンファースには笑いました。なんでそんな女の子っぽいの…基本的にゲイ男性が中心の作品ですが、コリンの元恋人のヘテロ女性にきちんと人称性と主体性が与えられているのも好ましかったですね。
冬に。
百合

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