役者達が最低限だけ与えられたキャラ設定に合わせてアドリブで議論する演技を撮った映画。
空気感がリアル、というのは台詞が決められていないまま演じなきゃいけないプレッシャーを抱えた役者達が一ヶ所に集められた結果、当たり前に生じてるものじゃないかと思う。奇しくも日本社会でよくある光景なのは確かだ。鑑賞中はその息苦しさに当てられてとても「リアル」な体験をしたような気がした。
しかし人物達の議論のレベルは最初から最後まで非常に低い。役者達の意識の程度で言えば現実なのかもしれないけど。もしあのアホの比率の高さが今の社会の現実なのだとしたら、あの議論のしょうもなさに違和感を感じた自分自身こそが今の社会を変えていくべきで、この映画には描かれていない、今の社会の希望だろう。
人間はそれぞれあんな一面的ではない。その複雑さの中に、人の痛みへの想像力があるはずだ。監督は「被害者に寄り添って撮るのは簡単(だからこの撮り方に挑んだ)」と言うけど、本当にそうだろうか。
ポンジュノ的な、人間を「状況を作る要素」として見る冷たい目線が垣間見える気がする。