キューブ

ライフ・ウィズ・ミュージックのキューブのネタバレレビュー・内容・結末

1.0

このレビューはネタバレを含みます

 2年ほど前に『キャッツ』というミュージカル映画が公開されたが、裸体の人間にフワフワの毛が生えたビジュアルがなんとも言えない倫理的なレベルでの拒絶感を生んでいた怪作であった。そしてこの作品はその段階を軽々と飛び越えて行ったのである。

 多くの批判に晒された箇所は別として、まず映画として多くの部分が不完全と言わざるを得ない。結末の多くが回収されることのない脚本、属性を与えられただけの陳腐なキャラクター、落ち着きのない編集…。結局のところ、評価を受ける条件がこの映画ではほとんど満たされておらず、今時の「なんとなくいい気持ちになる」演出が徹底して行われているに過ぎない。
 また監督のシーアのクリエイティビティが遺憾なく発揮されているはずのミュージック・シーンも、ダンス・装飾といった要素の多くが似通ったもので、同一アルバム内のシングルカットをまとめたMV集、という印象から抜け出すことはない。

 だが何よりも問題なのは、題名にもなっている「ミュージック」という自閉症の少女が、他の登場人物の抱える(極めて表層的な)苦しみを理由なく消し去ってくれる存在として扱われていることだろう。無論、彼女の明るさに救われるのは事実かもしれないが、それだけでは解決しない出来事もこの映画では30秒ほどで解決される…心温まるMVと同様のスピード感で。
 ミュージック役のジーグラーはお世辞にも上手いとは言えず、世間一般で想像される典型的な自閉症の特徴を繰り返すだけだが、熱量を持って演技に挑んだことは伝わってくる。(彼女の脳内世界と思わしき場面で、過剰なまでに表情豊かであることが薄っすらとした居心地の悪さを生んではいるが。)その他の俳優たちも生半可な気持ちではなく、隣人愛の素晴らしさを説こうとするこの映画に寄与すべくエネルギッシュな演技を披露していた。それが正しいかはともかく、この映画唯一の評価点であることには間違いない。

 とどのつまり、そうした努力も方向性を間違えてしまうと悲惨な結果を生むのである。一体シーアは何を考え、この作品のコンセプトを生み出したのだろうか。登場人物の主観的な世界を彼女自身はどう捉えていたのだろうか。
 反社会的行為を繰り返してもボランティアに目覚めるだけで全てを許される? 治療困難な病を抱えていても前向きにいればなんとかなる? 養父に撲殺されても夢の世界で笑顔のダンスを披露できれば最高のハッピーエンド?

 今後鑑賞する人のために、表題曲『ミュージック』の冒頭の歌詞を引用しよう。“Music is the soothing saint”。直訳すれば、「『ミュージック』は癒しの聖人」。これだけでこの映画があらゆるレベルで間違っていることを分かるはずだ。

(22年3月19日 TOHO日比谷 0.5点)
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