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バズ・ライトイヤーのpipboy101のネタバレレビュー・内容・結末

バズ・ライトイヤー(2022年製作の映画)
3.1

このレビューはネタバレを含みます

期待し過ぎたかな、、、という感じ

映像はとんでもないし、お話しもよくまとめようとはしているけど、ピクサーで、しかもトイストーリーに絡む作品がこのレベルだと個人的には正直ガッカリだった

僕が感動するピクサー作品の共通点は何で、今作に何がなかったのだろう? と考えると、それは『作り手自身の子供時代の思い出』なのかもしれない、と思った

トイストーリーなんかまさしくそうなのだけど、僕がピクサーを好きなのは、
『映像が綺麗でお話しがまとまってるから』
ではなくて、
『あぁ、作った人はきっとこんな気持ちで子供時代を過ごしたんだろうな、わかるな』
という点だ

僕にはそれが時折たまらないのだ

でも本作は、
『トイストーリーの人気キャラ、バズの映画はどんなものだったのか?』
という、
『企画を成り立たせる』
エモーションしか感じなかった
(作り手個人のエモーションがあると感じられなかった)

トイストーリー本編のバズは、プライドが肥大化し、オモチャという自分を認識出来ずにいた。
そのズレがトラブルの元にもなっていたが、最後、彼はオモチャである自分(大したことのない自分)を自覚し、『それでもオモチャの翼でしっかりと飛び(!)』、(無限の彼方いけなくったって)仲間を救い、オモチャであることの『良さ』を獲得する

僕は、『社会に出る』、という点で、多かれ少なかれ皆、こんな『バズ』のような経験をしてるんではないだろうか? と思う

根拠のない自信とプライド
実際にできることのすくなさ
理想と現実のギャップにすら気付かず、さらす滑稽さ
周囲の人との関わりの中で獲得する新しい生き方、、、

僕にとってバズは、そうした、(なんと言えばいいのだろう)、、、この社会で生きる苦しさや不恰好さをジョークとユーモアを交えつつ、最後には『勇気』に変えてくれるキャラクターだった

じゃあ本作の『バズ〜』はどうだったか??
僕にはそんな深みのあるキャラクターにはとても見えなかった
「過去ではなく今を仲間とともに生きる」という、ごく扱いやすいメッセージを出すだけの平板なキャラクターになってしまっていた

なぜか?

それは作り手自身が
『バズでなければ伝えられないエモーション』
を持っていないからだと、感じる
企画ありきの『お仕事』でしかないからだ、と想像してしまう

その他にも言いたいことは沢山ある

ソックスの声が(かまいたちは大好きだけど)、可愛い声を出している『おっさん』の声でしかなくて、キャラクターのキュートさを、(営業戦略の都合で)著しく損ねていたし、チームのメンバーのキャラクターもいまいちよくみえなかった

ゾーグがバズ自身だった、というお話しとしての展開は、観客の予想を裏切る効果より、
僕にとっては、あのトイストーリー2で吹き出した『アイムユアファーザー』のくだりへの裏切りにしか思えなかった
(ゾーグがダースベイダーだから笑ったのに、、、違ったんかい、という気持ち)

繰り返し出てくるスターウォーズオマージュも、ほんとに作り手がスターウォーズが好きでやってるとはとても思えず、『バズってスターウォーズオマージュのシーンいるよね?』くらいの『お仕事感』レベルにしかないように感じた

話題の同性婚の描写も物語を最も大切にしたとき本当に必要だったのか甚だ疑問だった
現実の同性婚そのものは僕は全くよいと思っている

しかし『時間経過の演出』という意図で妊娠シーンを挟まれたら、(あれ? 人口受精かな?父親は誰だろう?物語にその父親は絡まない? それとも女性同士でも自然妊娠できる設定の世界なのかな?)
など、『物語の本筋に貢献しない疑問』が浮かんでしまう

こういう『本筋に貢献しない』負荷をあえて客にかけてまでやる意義がある演出とはとても思えない

別に同性婚を絡めたシーンがあるからダメとかでは全くなく、『物語至上主義』で、作品が作られてない点に僕は強い疑問を持つ

この作品で僕が思うのは、『あぁ、ピクサーはもうディズニーと一緒で、『映像は相変わらず凄い』と言われるだけのアニメ作品製造マシーンになってしまうのかな、、、』
ということだった

ラセターがいなくなってしまったからなんだろうか??
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