昨夜観た『ANAGAI 地下鉄サリン事件と私』、まだなんか燻ってるというか、モヤってます、感想はまだまとまらず。
サリン事件の被害者である人物が、監督であり、撮影者であり、荒木広報にあそこまでいろんな場面で歩み寄り、自身の親御さんも彼に対面させるまで裸になりながらも、抑制しながら話しかける姿はとにかく刺さった。
ただ二人の男性のやり取りを二時間、とにかく見入ったに尽きる。アレフの荒木広報のどこか頑なな姿勢、それは自分があらゆるものを捨てさってひたすら取り組んで向き合ってきたものを否定できないという意固地なものにも見えた。すがってるだけだというのももはや隠し通せもしないのだけど。じゃあ、これからの人生、僕はどうするんだよという不安もあるのだろうが。
人は誰かと繋がっていることだったり、個人としても所属している集団としても、いつも自分自身を俯瞰的に見つめる視線だったり、何があってもいつでも何かをやり直す、取り返せる勇気と柔軟性だったりを大切に持ち合わせていなければと思った。何とも真面目で当たり前なことだけども。