ボギーパパ

エンドロールのつづきのボギーパパのレビュー・感想・評価

エンドロールのつづき(2021年製作の映画)
4.0
劇場2023-7 ⑧ 熊P

結構前から予告編をたっぷり拝見し、どう考えても『ニューシネマパラダイス』のインド版なのだろうと、そういう意味で楽しみにしていた作品。監督の自伝的作品というお話も聞こえてきたから更に、、、
映画愛に満ち溢れた作品として大いに期待。

しかし、その部分は期待通りであったが、『ニューシネマ、、、』のような作品かというと、全く異なる趣で、期待とは全く違う感動を覚えた作品であった。

本作は冒頭、監督からのメッセージとしてリュミエールをはじめとする映画人への感謝の言葉からはじまる。
この感謝の「言葉」が持つ意味と、向けられた映画人への愛と感謝をじっくりと味わいながら、そして理解する事自体を楽しむ作品なのだと鑑賞後、腑に落ちた。

映画とは時間を切り取り、ストーリーを載せて魅せる芸術であり、光と影の芸術とも言える。このかなり本質的な部分を作品の背骨にし、サマイが覗く光と影という形で大いに表現したのではないか、、、光と影自体を映すことで。
その理解が正しいのであれば、そこはもう十分過ぎるほど伝わった。(個人の感想です)

主人公サマイ、その名は「時間」という意味。両親は何も持っておらず時間だけはあったところから名付けられたとの事。カースト制度厳しいインドの片田舎で暮らす。監督自身なのだろう。彼は映画に魅せられ、貧しく不自由な環境の中でも映画に憧れ、欲し、本質へと向かう。この姿のなんと美しいことか、、、(悪いこともしてるけど(^^)

サマイとファザムの関係は、あのサルヴァトーレ(トト)とアルフレドのそれと重なる。ここはもう堪らないところ。映写室って憧れの場所だ。この二人の関係性もこの映画の肝だ。

そしてこの映画のもう一つの見どころは家族の関係性。カーストに縛られ、兄弟に騙され資産を失い、片田舎の駅でチャイを売る父と、家族をじっと黙ってただただ支える、料理上手な母の生き方は、制度に縛られた閉塞感・呪縛を表している。

そして、彼らの生き方に対し、学校の先生の一言
「発て、そして学べ」
呪縛からの脱出、唯一の方法なのだろう。
刺さる一言!

もう、どのシーンを取ってみても映画への愛が溢れ出ている。そしてラストの大追跡から旅立ちの場面への連続性。そして時代は変わっても込められた魂は不変とでも訴えるかのメッセージ、、、ここも堪らん!

愛だろ、愛!
そこに愛はあるんよ!
家族にも、映画にも、向けられた愛の映画でありました。違う感動ではあったけど『ニューシネマパラダイス』に並び立つ名作といえましょう(^^)再鑑賞必至ですね!
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