このレビューはネタバレを含みます
とても悲しい作品。
トランスジェンダーの「性自認」主義というものが、対話を諦め、不都合な関係性を断絶することによって成り立っていくということがよくわかった作品であった。
「ひかり」はかつての友人であり、想い人である男性に、一方的な「自己認識」(新しい名前)を押しつけ、男性から手渡された「思い」を、男性の後頭部に投げつける。
突然の、一方的で、暴力的な「ひかり」の自己主張に、友人であった男性は当然戸惑うが、振り向いたときにはもう、彼らの関係性は、「ひかり」によって一方的に終わらせられていた。
当の「ひかり」はといえば、その関係性の破壊によって、ようやく自分が「完璧に」なれたような感覚を覚えるのだった。
「性自認」主義においては、「私のなりたい私になる」などという言葉も使われるが、それは自己の認識とそれを無条件に肯定する他者の言葉のみを残し、それ以外の他者の認識や他者との関係性を排除していく、そのようなプロセスであるのだと思わされる。
伝えることをしない、聞くことをしない、理解しない方が悪い、「ノーディベート」……そうして対話を諦め、関係性を絶っていく……そのことは私たちの間に、失恋などよりもよほど大きな傷をもたらすのではないだろうか。