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Sentimental Education(英題)のukigumo09のレビュー・感想・評価

Sentimental Education(英題)(1962年製作の映画)
3.7
1962年のアレクサンドル・アストリュック監督作品。彼は元々映画批評家として有名で1948年にレクラン・フランセ誌に発表した『カメラ=万年筆、新しき前衛の誕生』という映画理論が話題になる。カメラ=万年筆とは、それまで映画は単なる見世物であり娯楽のための映像、イメージを提供するための手段とされていたものを、これからは映像が一つの言語のように、作家が万年筆で小説を書くごとく映画作家もカメラを使って映像という文章を綴るといったものだ。同時期にレクラン・フランセに寄稿していた有名な批評家アンドレ・バザンも共鳴し、後にカイエ・デュ・シネマ誌を立ち上げることになる。カイエの批評家たちが掲げていた映画は脚本家のものではなく監督の表現物であるという「作家主義」という映画論もアストリュックのカメラ=万年筆の流を汲むもので、ヌーヴェルヴァーグの思想的源泉と言えるだろう。
映画監督としては1940年代から短編を撮っており、1952年の短編『恋ざんげ』では一切の台詞を排しナレーションだけで話を進めるなど挑戦的な作品を発表している。長編ではモーパッサン原作の『女の一生(1958)』が日本でも劇場公開されている。『感情教育』もフローベールの原作なので、有名な文学の独自の読み直しがアストリュック作品を形作っている。

ル・アーヴルの浜辺でフレデリック(ジャン=クロード・ブリアリ)はアンヌ(マリー=ジョゼ・ナット)という女性に道を尋ねられる。冒頭の大俯瞰の海辺ショットから一人佇むフレデリック、女性の登場というテンポと画面のサイズが心地よい。道を教えたフレデリックは彼女のことが気になりそのままこっそりついて行く。港まで行くと彼女は下船する夫ディディエ(ミシェル・オークレール)を待っていたことが判明しフレデリックはおずおずと引きさがる。
フレデリックは大学のためパリに上京する。彼は叔母のカトリーヌ(ドーン・アダムズ)のところで下宿しているのだが、カトリーヌとアンヌは家族ぐるみの友人で、アンヌが夫の仕事のことで相談に来ていた。ディディエの不在もあり予約していたレストランの人数合わせで招かれたフェレデリックの様子や、アンヌの対応で恋の萌芽を見抜いたカトリーヌは、アンヌとフレデリックをこれ以上親密にさせまいとして、ディディエの愛人であるモデルのバルバラ(カルラ・マルリエ)とくっつくように画策する。

本作のラストは冒頭の港のシーンの裏返しのようにアンヌが夫と船に乗り込むところをフレデリックが見送るシーンで終わる。アンヌの腕をつかみ、その手が再びゆっくりと離れていくアップのショットが切なさをあおる。
フローベールの『感情教育』であれば舞台が1848年の前後ということで、恋のさや当てというだけではなく外的要因として二月革命が話にメリハリを与えている。一方本作では1960年代初頭ということで淡々としている。その日常的なところに目を向け映画にするというのもヌーヴェルヴァーグに通じるところだ。男女の会話のシーンのカット割りがかなりの確率で、教科書的には「つなぎ間違い」とされる人物の置き方なのも、理論派監督アストリュックの癖の強さと言えるだろう。
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