💥銃社会への警鐘以上に深いストーリー💥
1996年にオーストラリア🇦🇺のタスマニア島で起きた、ポート・アーサー事件の犯人、マーティン・ブライアント(Martinを逆から読んでニトラム)が主人公。
本作はマーティンの生い立ちから事件を起こすまでの姿が描かれてるけど、彼が事件を起こすことになる決定的な要因が判明するというわけではない。
色々な要素が複雑に絡み合って、不運な出来事が重なって事件が起きてしまったかのように描かれている。
だから、もしも〜がなければ、事件は起きなかったんじゃないか?という仮定はできるんだけど、事件が起きてしまった以上、もうどうしようもない。
もしも大富豪のヘレンと出会っていなければ?
もしヘレンが死なずに生きていれば?
もしヘレンの多額の遺産を手に入れてなければ?
もし父親が海辺の家を手に入れていれば?
もし銃を簡単に手に入れられなかったら?
そして、もしマーティンが知的障害じゃなかったら?
たられば論だけど、そういったことが全て絡み合って事件が起きた、そう仮定するが真相は未だ不明である。
もちろん映画はマーティン主体で進んでいくんだけど、僕的にはこのストーリーはマーティン一家、とりわけ母親のストーリーだとも感じてる。
母親役のジュディ・デイヴィスさん、名女優さんです!
オープニングで流される子供の頃の映像。花火で火傷したマーティンに対して、もうやらないか?と諌めるも、またやる!と反省もなにもなく屈託なる答える。
そう、全てがこうなのだ。
(障害についての知識や理解があれば、なぜこうなるかはよく分かるんだけどね(^^;;)
それ以降も花火をやり続け、母はその度やめさせようとしただろう。でも治らない。
そして大人になった今でもそれは変わらない。母はもう疲れたのだ、いや、注意することを諦めたのだろう。
だから、マーティンとヘレンが共同生活をはじめ、初めて食事をした時、子供の頃のマーティンの話をし、そういうことを分かった上で一緒に暮らすのか?とヘレンにある意味忠告をしたのだろう。
マーティンを病院に連れていき、抗うつ剤を処方してもらうのに、本当に受診して欲しいと思っていたのは母だったはず。
とにかく母は疲れ切っていた。
助けを求めたかった。本当は逃げ出したかった。けれど投げ出すわけにはいかなかった。
なぜなら誰よりもマーティンのことを理解していたのだから。
そんな疲労と苦悩の人生が垣間見える映画だった。
だからこそ、ラストで家の前でタバコを吸い佇む母親の姿は見てて苦しい。
事件の前か後かは分からないけど、何を思っていたんだろう?
孤独に耐えられないマーティンの行く末を。
……………マーティン役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズさん、姿形も似てる上に演技が素晴らしすぎる✨