すばる

THE FIRST SLAM DUNKのすばるのネタバレレビュー・内容・結末

THE FIRST SLAM DUNK(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

とってもよかったです。

スラムダンクのアニメは多分幼稚園生のころ毎週見てて、完全版が出た時全部通して読んで号泣して、少し前に新編集版が出た時買いそろえて、時々読んで「やはりスラムダンクはいいぞ」程度の普通のファン。世代的にもドンピシャではなかったし、元バスケ部じゃない。

で、とってもよかったです。(2回目)

まずCGなのと馴染み深かった声優さんが変わったのは「おお?」と思ってたけど、実際見たらやりたいことがわかって肯定的に見られた感じ。
元のアニメはどうしても週イチ放送であの絵を動かすのに苦労してるっぽいんだけど、一旦試合の流れを止めて入るモノローグによって状況や雰囲気づくり、心情説明めちゃわかりやすいよね。セリフも聞き取りやすい。
今回はCGなので俯瞰した目線を持つことができて、試合として誰がどこで何してるかわかりやすく、止め絵にならずにそのまま動き続けてスピーディー。その代わり、走りながらサッと飛び出すようなセリフが聞き取れないとこがあった。もちろん声優さんが下手ということじゃないよ。あえてあの状況に合わせて素早く話すから?まあわからんとこは原作読めばわかる。
あと意外とCGになったら、みんなまだ高校生の少年なんだな〜、という気づきがあって面白い。あの絵をなるべく再現してるのに、なんか漫画や昔のアニメでは表現できなかったちょっとした動きがかわいいよね?特に花道。…「山王はいいぞ」おじさんみたいな目線になっちまった。アニメ見てた時はみんなより若かったのに。後方腕組み観客ヅラ。笑


と、いうわけで、ここからはじっくり感想を書きたいと思います。


スラムダンクは今読むと、多分、意図的にキャラクターの家庭環境を描かなかった漫画だった。
家庭について示唆されるところは、陵南戦前に安西先生が倒れ、救急搬送に付き添った花道がいかにしっかりしていたかというエピソードから、過去に花道の父親が倒れた回想がちらっと挟まれるところくらい。あそこにふと感じる暗さ、きっと私以外にも頭に残り続けた人も多いだろうな。
インターハイ前の赤点軍団勉強合宿でミッチーが家に連絡入れており、その内容を肩越しに聞き、「(ミッチーはグレて)親不孝したからな」とボソリと呟くのが花道だというのは、前述の事情を考えると結構感慨深い。
流川の家は謎。桜木軍団も木暮先輩も彩子先輩も家族構成不明。キャラブックとかで言及があったら、ごめん。ゴリのお父さんとか、ちらっと出てくるけど、ものすごく影が薄い。

作者が泊まり込み合宿や県外遠征にいく部活に所属する少年少女を描くとき、個々の家庭環境に容易に触れられる機会だったけど、それをしない漫画だった。家庭の事情で部活を続けるかどうかを迷う・退部するストーリーを描いてきたスポーツ作品は山ほどあるし、それが悪いことだとは思わない。
部活動って多かれ少なかれお金がかかるものだし、たとえ費用を出してくれるとしても、部活をすることに親が難色を示してたら、かなり続けにくいものだろう。実際に退部に追い込まれなくても、同じ部活の友人には家族のサポートや応援が無条件にあって、自分は得られないとしたら、心情的につらいものがあるだろうなと思う。

実家が板前さんで高校卒業後は料理人の道を歩む陵南の魚住の家庭では、きっとバスケットについて話し合われたことがあったろう。魚住の過去ストーリーの中で、魚住がバスケすることに親が口出してきて…みたいな話いくらでも挟めた気がするけど、やっぱりない。
もちろんストーリーに必要ないから、その時は板前設定はなかった(笑)とか、他校のキャラだしと割り切ってもいいのだろうが、魚住だけでなく、スラムダンクの多くのキャラクターについての家庭環境を描写しなかったのは、一貫したものを感じる。

明るいギャグも満載の作品で重すぎるから、というのもあるだろう。
当時はあまり深く考えなかった、が、今読むとまさに深く考えさせたくなかったのかもと思う。だって、多少は世の常を知った今ならわかるけど、家庭環境ってマジで外からも中からもどうしようもないものだから。
あの少年たちがバスケをすること・しつづけることについての決断に家庭環境が絡んでいたとしたら、あまりに辛い。自分の必死の夢や楽しみが、「家族によく思われないから」・「貧乏だから」・「時間がないから」で諦めるというのは(それは現実ではまああることだけど)、もしあの物語のなかにあったら、どうしようもなく辛いじゃないか。最後の最後まで諦めるな、諦めたらそこで試合終了だ、と教えてくれる漫画に、「でも家庭の事情だったら、ほんとに辛いけど仕方ないよね」と必殺・大人の事情を叩きつけられたら、もうなんも言えなくなっちゃう。
例えば部活をすることに否定的な親がいて、主人公たちがその親を説得する展開がある漫画もたくさん見たことはあるし、悪くはないけど、個人的にはたとえフィクションの中でも経済力や他人の親の態度は、高校生たちなんかではどうにもならないものじゃないかなと思ってる。急に脚長おじさんが援助してくれたみたいなフィクションのミラクルがあったって文句はないが、どうにもできない重さをわかってたからスラムダンクにはそもそも家庭環境の差異が描かれなかったんじゃないかと勝手に妄想してる。

で、今回のザファーストは打って変わって、まさにそこに切り込んできた。

これまでおそらく、多分、ポリシーとして描かなかったキャラクターの背後にある家庭環境をあえて描くとしたら、それは「兄弟は何人いて」とか「親とそっくりで」とかいうキャラブック的ワクワク……ではなかった。「格差」だった。キツい。

リョータが引っ越したボール遊びできない団地。そこで彼は中学生から高校まで暮らしている。沖縄の平屋の一軒家とは違って、狭い感じ。なんとなく伝わる程度に、リョータのうちは決して金持ちではない。リョータは背が高くない・体格良くないって漫画の中で何度も言われてるんだけど、成長期の中学生から高校生の間同じ団地で暮らしていて、インハイ前にバッグに荷物詰めてる彼の部屋が映ったとき、窮屈さがわかるよね。別にお金もちだとは思ってなかったけど、リョータって多分湘北メンバーで一番オシャレだから、どうしても意外な一面みた気になる。
ただし、金銭面についての描写(例えばリョータのお母さんがキツい感じで仕事に行くような描写とか)をいれなかったのは、上品でめちゃくちゃかっこいいと思います。

リョータのお兄ちゃん、ソータは「山王に入学するのか」と問われた時、山王表紙の月バスに「山王を倒す!」と書く。もちろん、最強になるのではなく、最強を倒す!というのがかっこいいのもある。
でもやっぱりああいう家庭環境が描かれた時、きっとソータの頭には、たとえ入学できる能力があったとしても、お母さん・リョータ・アンナを置いてバスケ漬けになるために秋田の山王に行く(まさに山王のスローガン「一意専心」するために)、というのが難しい・してはいけない、という気持ちがあったのではと考えざるを得ない。
そんなソータがいなくなり、自分が好きなスポーツをすること、それ自体が母にとって多くの面で負担をかけていると考えるリョータには罪悪感が二重三重にのしかかる。
リョータのお母さんはリョータに「バスケするな」とか嫌な目でみたりする描写がないにもかかわらず、リョータは小中高と鬱屈を溜め込んでいく。秘密基地みたいなとこで彼が号泣してから気づいたけど、あそこに至るまで、罪悪感や鬱屈を溜め込むばかりで、まず兄が死んだことをああやって感情を爆発させて悲しむことすらできなかったんだよね。

つらい。

好きな趣味や生きがいや楽しみが、自分の大切な人を苦しめたり負担を強いる行為であることはどれだけ辛いだろう。
幸いにして自分にはそういうことがなかった。でもリョータほどの罪悪感を抱かなくても、嫌がられたり負担になるのを恐れて好きなことを諦める少年少女が現代にはたくさんいるだろうな…と考えると、とても胸が苦しくなる。たとえフィクションでも安易に解決し難い状況で、現実なら本当に「諦める」しかない。この漫画、「諦めるな」という話なのに。

劇中のリョータのセリフで今や真に迫るセリフがある。それは「こいつ、きっとずっとバスケのことだけを考えてきたんだろうな」。
これ、きっとバスケじゃなくても、サッカーでもピアノでも文系でも理系でも受験でも発表会でも、何でもいいけど同じ場に立つ見知らぬ相手を畏れたことがある人なら誰もが実感をもって「わかる」言葉だ。
きっと自分よりずっと真剣に時間をかけて努力してきたんだろうな、と考えるだけで本当に恐ろしいし、卑屈になるし、「なぜ俺はあんな無駄な時間を…😭」になっちゃうよね。
リョータのように、幼い頃から他の多くのことを考えざるをえなかった環境にいたら、もっと大きな意味を持つ。畏れだけでなく、嫉妬や、羨望かもしれない。
何より山王のメンバーはマジで「ずっとバスケのことだけを考えて生きてきた」のである。…いやごめん、盛ったわ。確信を持って本当にバスケのことだけ考えてきたと読者が言えるのは、珍しくこの漫画で家庭環境・幼少時代を描写された沢北栄治だけである。

こうしてみると、沢北はリョータとはなにもかも正反対の環境で生きてきた。当時も今も、自宅にバスケコートがある人は多くない。てか、ねーよ。子の才能と夢のために引っ越したり家を建てる経財力(あちこちから借金したって書いてあるけど)・支えになってくれる父母を持つ。スポーツモノのフィクションの敵として、終盤に登場する才能と育った環境(あと顔)がSSSランクボスとして申し分ない描写である。
当時沢北と相対したのは流川だった。流川の家庭環境は描かれてこなかったけど「家近いから」で熱心な田岡監督がいる陵南じゃなくて湘北を選んだ流川だ。だから、この描写に「うわー!こんな生まれた時からバスケットやってきた相手に、流川は勝てるのかな…?」とハラハラする。
まさか、沢北の才能どころか実家がまあまあ太くて人生からして優勝してる(=恵まれた)エピソードが、こうやって26年後にリョータの環境の対として活きるとはなあ。
ザファーストを流川中心で描くことも考えたかも。でも明らかに流川は今回リョータに付与された「罪悪感」を抱いて生きてきたようなプレースタイル・性格ではない(万一あったとしてもそれを跳ね除ける性格に描写されてる、と思う)。

沢北には沢北の悩みがきちんと描写されているので、「バスケのことだけ考えて生きてきた」沢北がお気楽なヤツだとは絶対に言えないが、環境として恵まれているのは間違いない。
今回、どうしようもない事情と共に生きてきたリョータが、チームメイトと一緒に、全力で恵まれた相手と試合する。自分の中に溜め込んだ罪悪感・劣等感からくる恐怖と戦う。
恵まれた相手に勝ったからどうとかじゃなくて、戦って自信を持ち自分の姿を受け入れる、ということ。罪悪感まみれだった自分を少しでも許し、お母さんと少しだけ一歩前進できたことが本当によかった。

で、当の試合自体はもうクッッッソ熱くて、みんな泣いたし、みんなNo.1ガードしたし、みんなWチーム突破したし、みんな左手は添えるだけしたし、みんな見開きで手パァン!したし、もう全部知ってるだろうから割愛。(PGとしてマッチアップした深津がさあ、マジで強くてこわかったピョン…)

だから、最後にリョータがアメリカ留学をしているのはすごくよかったと思う。原作でアメリカに行くと言っていたのは流川だったので、あれぇ!?という意外さもあるけど、ソータとリョータが無意識に母や家族を思って二の足を踏んでたことをブレイクスルーした未来を見せてもらえたのはとても意義がある描写だと思う。
家庭環境は正反対の沢北とリョータがちょっと仲良くなって、時々連絡とってアメリカ生活の苦難を一緒に乗り切ってたらウケる。

そういやスラムダンクにはバスケ留学の学生支援奨学金があるそうなので、ここにも、連載を終えて、スラムダンクが伝説的な漫画となり、こうした制度をつくって、今回このような「敢えて」「諦めざるをえないような」事情を持つキャラクターの話を描いた井上先生の真摯さを感じた。先生が敢えてまたスラムダンクに戻ってきて映画を作ろうと思ったとき、伝えたかったことの一部はこれだったのかなと思う。
かつて高校時代を生きて、大人になってこの漫画でみんなを感動させてくれて、今再びみんなに「諦めないで」と言う時、前は意図的にどうしようもない状況を除外して描いてきたけれど、今回はそれを避けずに描いている。リョータがどうやって留学したかは知らないけど、スラムダンク奨学金があることも含めて、「経済面だけは、それだけは社会が助けてあげられるかも。だから背負い込まないで、あとは自分を信じて飛び込んでいってよ」って背中を押す物語だったと思う。
現実でもこれからも「そこだけは助けてあげられる」と言い続けられる社会であってほしいよなあ。
すばる

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