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珈琲時光のあのレビュー・感想・評価

珈琲時光(2003年製作の映画)
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20年前の東京。主人公の陽子(一青窈)は雑司ヶ谷のアパートに一人暮らしで、実家は群馬の高崎近くの吉井という田舎。都電荒川線に鬼子母神前から乗って大塚でJRに乗り換え御茶ノ水、そして肇(浅野忠信)が営む古本屋のある神保町へ行ったりする。陽子行きつけの神保町のエリカという喫茶店は2019年に閉店している。高円寺の都丸書店に取材がてら赴いた陽子は、そのあと肇と御茶ノ水で待ち合わせをしたのだけど、中央線で新宿まで来たところで気持ちが悪くなって降りる。妊娠しているためだ。

小津へのオマージュにしては電車移動のシーンが多い。こんなふうに乗り換え乗り換え、ぐるぐる回って移動しながら暮らす街なんだ東京は、と思う。肇が作っていた路線を模した謎のサイバネティックな図は地形図とは異なる東京の地図だ。これが重要だ。陽子は妊娠しているのに、何故かほとんど座らない。その方がたしかに自分がどこにいるのか感覚することができる。

一方実家の群馬へ帰ったり、逆に両親が東京のアパートを訪れるといった移動もある。実家では猫が飼われている。父親(小林稔侍)は全然喋らない。口を開く(何か言うのではないかと緊張が増す)もののなにかを食べる、それだけだ。重苦しい磁場の発生装置である。

ともあれこれは20年前の東京だ。20年前の30歳前後の(ロスジェネ世代か)フリーランスで働く東京に一人暮らしの妊娠している女性の話だ。彼女は結婚はしないけれど子どもは産むと言っている。当時それがどれくらい現実的なのか、そして現在ならもっと困難じゃないだろうかとか考える。『東京物語』というよりは『東京暮色』に近い。

一青窈の歩き方の不自然さを濱口竜介が『カメラの前で演じること』のなかで引き合いに出している。そこまで気にならない。
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