ゆき

とら男のゆきのネタバレレビュー・内容・結末

とら男(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


<虎男とカヤコについて>

西村虎男、1992年の事件に後悔の念を抱え、淡々と畑と馴染みのおでん屋の往復をする日々。哲学が滲み込んだ生活。
西村虎男の魅力が半端ない。鋭い眼光と裏腹に、謙虚な、吶々とした語り口。驕らず、自然な表情が魅力的。

カヤコは東京の大学生。この映画のフィクションを担保する役。生きる化石と呼ばれる植物メタセコイアを取材する中で出会った西村虎男に興味をいだき、事件を調査していく。
彼女の言動が非常に、真摯さを欠いている。

まず、事件に首を突っ込む動機は卒論のネタに困ったからに終始している(ようにみえる)。
虎男に対し心を開くと、自己中心的で、侵襲的、幼稚に接する。
遺族の許可を取らずSNSで情報を集めるのは倫理的にアウトと思われる。
最終的には、彼が犯人を詰めきれなかった過去に対しかなり強く批判し喧嘩別れする。

彼女が大学で孤立している描写があるが、自身の興味を深めるあまりの孤独ではなくただ単に嫌なやつでは?と感じてしまう。


〈監督とカヤコについて〉

監督がこの映画を作った意図は以下二点
・映画を超えたものを作る
・この映画を通して現実に影響する

作中と舞台挨拶に複数回でた『倫理観』は、さまざまな解釈があると思うが、監督の倫理観は上記二点の遂行のために徹底しており、カヤコはこの倫理観を反映したキャラクターだと思われた。
監督はこの倫理観に沿い、被害者の墓は映されるべきと考えたらしい。そして、遺族に拒否された時びっくりしたらしい。
監督と私の倫理観の相違がカヤコへの拒否感として現れていた。


〈まとめ〉
セミフィクションである本作のフィクション部分を担保するカヤコというキャラクターの暴力性、それがこの映画の立ち位置を奇異なものにしている。
フィクションの暴力をとおし、西村虎男は何を考えたか、感じたか。

あと、カヤコのような人間も暖かく迎えてくれる田舎って素晴らしい
ゆき

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