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ハッピーエンディングスのKのレビュー・感想・評価

ハッピーエンディングス(2021年製作の映画)
5.0
即興という演出方法を使った二人の監督によるオムニバス二本立て。一応ふたつの映画は物語的に薄く繋がっている。

これまで観てきた映画のなかでも即興の占める割合はかなり高いように思う。同じ即興でも演出の仕方はそれぞれ違っていて、でも、カメラのポジションとかは事前に決めないといけないから、おそらくシーン毎にこんなようなシーンを撮りますっていう箱だけを用意して、その箱のなかで自由に動きながら言葉を発してもらう感じだと思われる。

即興が初めての井上監督のパートでは複数人でランニングをするシーンが何度も合間に挿入されていて、これは即興という無秩序にメリハリをつけるというか、ある程度の映画的な統率をとるために事前に考え出されたのかなぁと。

さて、大枠の物語的な道筋はあれど具体的な台本のないこの映画において、役者たちの演ずる動きや台詞は役者たち本人の経験からしか出てこない。即興という磁場において、役者たちは自らの個人的な経験をもとにほかの役者たちと関係する。まずシーンという発端が提示され、それに反応し、その反応にまた反応する、反応に対する反応として関係してゆく。そこには自ずと時代的な空気感が反映されるように思う、とりわけ映画における時代的な空気感が。他者と関係していく以上、それは個人的な経験だけでは済まされないから、何らかを共有しなければ関係できないから。即興という磁場において、あらかじめ動きと台詞を失念した役者たちはそれでも何かを発して、そのままならない何かを共有して関係していかなければならない、それの拠り所になるのが映画の時代的な空気感なのでは?

撮影時期は不明だから何とも言えないけれど、この二本立てには濱口竜介の影があるように思えてならない。濱口は脚本の本読みを重要視する演出家として知られ、その演出方法でいまの映画界を席巻している。即興という磁場において、あらかじめ動きと台詞を失念した役者たちに脚本家・濱口の言葉が流出しているような気配をとりわけ井上監督のパートに強く感じた。四人の男女が貞節を捨てるとき、そこには『ハッピーアワー』で提示されるような肌と肌の触れ合いがある。あるいは大崎監督のパートの最大の見せ場であるところの女が女を抱きしめるときも。
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