歳を取るという表現が実写において難しい理由は、映画世界の登場人物は歳を取っても、演じる役者は歳を取らないため。それをカバーするには、特殊メイクでシワを増やしたり、衣装を統一することで記号的に同じ人です>>続きを読む
|コマを落とした映像
この映画の戦闘シーンでは、映像のコマ(フレーム)を落とすことで視覚に発生する残像をうまく利用している。
残像は目に入った光が一定時間その場に留まる現象で、速い動きを見た時などに>>続きを読む
|歩く
人物が「どこを、誰と、どのように」歩くのか。それによって人物の置かれた状況や状態を表現する。
例えば、踏切を渡るという行為には、これまでとは違う場所に自身を前進させるという意味合いを持たせる>>続きを読む
この映画は、
音楽を聞いた時に頭に発生するイメージを、あえて映像によって再解釈・再説明している。
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あまり良くないMV・映画作品でありがちなのは、
音楽が映像の説明をしてしまう
反対に、
映像が>>続きを読む
|被写界深度のズレによって隔りを作る
盲ろう者である主人公の家族と健聴者である漁業の仕事仲間が同じ画面に収まるショットでは、ほとんどの場合どちらか一方に焦点が合い、他方がぼやける。このことによって>>続きを読む
-映画冒頭「降りる」
ニューヨークの情景→上空から俯瞰で街を映す→白い車の天井→経済新聞→経済新聞を読む主人公
※最後はエレベーターで「上る」
-歯切れの良いジョークが心地良い。監督のセンスだと思う>>続きを読む
心情を立ち位置・動作・行動によって表象する
-祖父と祖母が階段を登るシーンが2度あるが、1度目は祖母→祖父の順に階段を上がる
2度目は家族会議のさなか問題の紀子が帰ってくるシーン。急ぐ必要があるため>>続きを読む
-アメリカが生まれた日(独立記念日)から、最後はアメリカを卵子にまで戻しちゃう話
-アメリカの抱えているジェンダーやカーストなど様々な問題を取り上げている。
-MV(ミュージックビデオ)を映画にし>>続きを読む
-トラックアップとトラックダウン
街中を獲物を探すようにして歩く泰良を映す長回しショット。
泰良をカメラが背後から追いかける→こちらを振り向き、カメラを睨みつける泰良→こちら側に詰め寄るようにして歩>>続きを読む
-刑務所の面会シーンは固定で、それ以外は手ブレを活かした動きのあるカメラワークと徹底されている。それ以外というのは、刑務所の外のアクションのあるシーンほぼ全てがそうであるということ。
-カメラが人物>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
雑記
-カメラアングルに工夫がある。(いわゆる「実相寺アングル」)
-音楽、効果音が良い(特に選曲が良い)
-冒頭のタイトルが「シンゴジラ」から「シンウルトラマン」に置き変わるとおり、本作は完全>>続きを読む
-この世に存在する「不確かなもの」(例:死、祟り、怪奇現象など)を妖怪や神の仕業として実在化する事によって理解しようとする試み
-水木作品では、人々に恐れられる妖怪にもそれぞれの世界や生活があり、ま>>続きを読む
【センターフォーカス】:カメラ用語。画面周囲にぼかしをつくる。
-ラストシーン。バイクのスピードが上がるに連れて画面上が脱色されていく。
主人公を取り巻く周囲の環境、自己の決断、偶然と言ったものが何十年というスケールから何秒というほんの些細な出来事でさえ絶えず影響を及ぼしあっている様子を、とても丁寧に描いている。この男の振る舞いや辿る道>>続きを読む
-フルアニメーション
-その時代を生きていないと描けないような描写が印象的。びっしりと整列するバッグ。異常に暑がる兵士。鳥籠の鳥。
-画面を目一杯使って主人公"お春"が翻弄される様子を動きによって見せる。画面内で何が起きているのか今一度精査しながら見返したい。
-マーティン・スコセッシ?
-デヴィッドフィンチャーの策略にまんまとハマって抗えない感じがする。他所のどんな過激な映画よりよっぽど危ないと思う。
-人物の動きをトラックするカメラ
この映画では、移動する対象をカメラが追いかけ>>続きを読む
「音」と「映像」を矛盾させる
映像が無かった時代にラジオから流れてくる誤った「音」の情報(プロパガンダ)によって日本国民が戦争を支持する様子が映像的に描かれている
バックで流れる音声と示される映像>>続きを読む