ある韓国の評論家の話がすごく良かったので紹介します。
「別れ」について「ごめんなさい」という映画があって「ありがとう」と話す映画がある。
私たちは別れの時、いつも理由を探す。自分が何か過ちをした?と>>続きを読む
「定義」というイジメの被害者が変わる必要はないから。
怪物を探している観客が怪物だった
詳しいレビューはこちらのはてなブログを参考してください!
https://zrr.kr/GVjF
言語の恣意性を悪の凡庸さと見事に織り交ぜる監督の能力。
偽の言語として利用されたユダヤ人の名前は何の意味も持たない。
コッホの犯行動機もイデオロギーによるものではない。
コッホが言語の語源を調査し>>続きを読む
映画の本質は編集であり、編集とは操作であって、映画を撮るのはキツイ現実を操作する行為である。
監督が「映画」に贈る切実な愛の告白。
しかし、公共の場での愛の告白は他人にはみっともないだけ。
エレメントの世界を具現化する創造性は抜群。 しかし、なぜか全体的に急いでいる。
テキストがいいと言って、見事な映画になるわけではない。
演出が強いからといって、痛烈な風刺になるわけでもない。