支配階級の正統でホモソーシャル=セクシャルな覇権が、武士的な趣味を解さない(そしてその首さえそれと同定できない)百姓あがりの人間に奪われていく流れには見ごたえがあるし、歴史を個人のばかばかしいやりとり>>続きを読む
どうすればよかったかなんてお姉さんを入院させて合う薬が見つかって少し話ができるようになったときにはもうよくわかっていただろうに父親に投げかけた最後の問いにこちらまで身を固くしてしまう、症状が出ていると>>続きを読む
おかげでリンチへの好意レベルが「いい人だよね」から決定的な「好き」に変わってしまった。どうしてくれるんだ、生きててほしかった。ウサギファミリーのテレビ画面と女の顔の切り返しは『ペルソナ』っぽい。
死にたくて死んだ人、死ねなくて生きている人、死にたいことに気づいていない人、生きたかったけど死んだ人、人を死なせて生きている人、自殺は武士階級の精神的な差異化の手段で、死を選択するだけの手段と発想を持>>続きを読む
ふつうにおもしろいと思ったけど、個人的には特に言いたいことがない。エスプレッソマシンのままならない感じがよく機能してる。
tech, that’s the thingからthere’s something that machines can’t doへ、このシリーズ異(人)種やAIや外部の脅威を克服するストーリーがうまく>>続きを読む
独自の法によって完結し全ての正当なツッコミを無効にしてしまうことが、よい映画がよい映画たるための条件なのだとあらためて教えてくれる。おもしろすぎて狂う。200年後には冒頭に「鳥類への差別を助長するよう>>続きを読む
樽に隠れた娘の存在に気づかないカットが樽-娘の記号を決定的にする。流れていく樽の連続、その一ゆれの緊張が、観客の想像力と映画のサスペンスをかきたてる。馬車や樽が画面を縦に横断するときのリアリティが、観>>続きを読む
「喜劇」と呼ばれるものの不気味なまでの過剰さが、『結婚記念日』と比べてもラディカルで暴力的。恋人の仕打ちを反復しようとする男の仕草は、発想そのものの不毛さを示すかのように不毛で反復的なんだけれど、最後>>続きを読む
明らかにやりすぎていて中身はほぼ悲劇なのだけどちゃんと喜劇の文法に沿って調和しててすごい、システムって偉大
「あれは気持ちよかったんじゃなくて苦しかったのか」という気づきによって、あえぎ声、悶絶の表情、拒否の言葉など、ポルノというジャンルにおいて快楽の記号のように扱われてきたものは実のところ何か全く別のメッ>>続きを読む
拾う人のつつましさを過剰に美化せず、格差を声高に批判するでもない、けれど持つ者の傲慢さを隠すでもない、ヴァルダの視線の透明さ、その手の美しさ。こういうの見ると人の作ったものに対してインターネットでぶつ>>続きを読む
私は結局映画に価値の転倒を求めてるんだなと思った。これが観られる世界に生まれてよかったと思う映画は久しぶりだ、ありがとうジョナス
濱口さんがこの映画を「爛れた」いい映画と褒めたときに想定していたのは「爛熟」の意味だったかもしれないけど、その言葉をあえて読み違えるなら、これはむしろ戦争で受けたまま乾かない火傷のような1946年の爛>>続きを読む
メカスの映像は多分これに限らずだけど自分の記憶がこの映像に書き換えられてしまったのかもしれないと思うくらい、小さい頃連れて行ってもらったサーカスのことを思い出すときに頭に浮かんでくる映像にそっくりで不>>続きを読む
白馬に乗った女の子(?)のあどけなくて冷たい目つきが印象に残る。槌で雷を降らせているのは北欧神話のトールかなということくらいしかわからなくて残念、神話の知識があればもっと楽しかったかもしれない。こうい>>続きを読む
これの上映に関わったかどでジョナス・メカス含む複数人が拘束され、裁判でアレン・ギンズバーグやスーザン・ソンタグらが擁護したという事実だけでも60年代アメリカの前衛シーンの緊張を伝えてやまない歴史的なピ>>続きを読む
テレビの放送で映画を観るってあんまなかったけど、いいですね、細かいこと考えずに見させてくれるのなんかやっぱさすがリンクレイターという感じだ
悪夢的な長回しややたらと重苦しい主題の取り扱い、女子どもの顔のクロースアップはめちゃくちゃ魅力的。でも映画としての進行に度肝を抜かれるかって言われたらまあ普通だし、エンタメとまで言わなくても実験映画で>>続きを読む