毱さんの映画レビュー・感想・評価

毱

映画(1365)
ドラマ(41)
アニメ(0)
  • List view
  • Grid view

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)

-

このレビューはネタバレを含みます

電話ボックスのなかで、母と電話する父親。監視してるってことね、いうようなセリフをひっかかる何かとして残しておくこと。

同じ太陽、空を見ていること。


30才の彼女と、その赤ちゃんの泣き声。
血が流
>>続きを読む

ボクシング・ジム(2010年製作の映画)

-

冒頭に感じた『ケイコ〜』的感覚。
(エンドロールでも聞こえるジムの音も然り?)

→と思ったら、三宅唱本人も言ってるんですね。(http://www.kaminotane.com/2023/01/23
>>続きを読む

羅生門(1950年製作の映画)

-

このレビューはネタバレを含みます

ひとを信じられるのか、疑うほかないのか。一つの出来事が4つの角度(眼差し)から語られること(死者の巫女も含め)。
自分を棚に上げて批判すること。最後の捨て子のくだり。
信じられないことばかりの世界で、
>>続きを読む

ロング・グッドバイ(1973年製作の映画)

-

扉によじ登ったまま開けられるドア。
映画ない映画的終わらせ方。

無理心中日本の夏(1967年製作の映画)

-

このレビューはネタバレを含みます

銃撃戦下のセックス(心中)。

影。

スパイの舌(2008年製作の映画)

-

パントマイム(少しだけ)
『やくたたず』の女性?
部屋の花火。

マイムレッスン(2006年製作の映画)

-

パントマイム。
モノマネ。言語の繰り返し。
観ていてざわめきを覚える作品。三宅の短編のなかでいちばんすきな作品かも?

終盤。顔パックをして白塗りになった女の子と窓ガラスを挟んでふたり(男女)でやるパ
>>続きを読む

1999年(1999年製作の映画)

-

追いかけっこ。
二人から三人へ。
サイレント。
活劇性。

悦楽(1965年製作の映画)

-

ストーリーが面白かったので、原作も読んでみたいところ。

どこか魅了されてしまう女たちと、それに重ね合わせられ、一層理想化された(?)匠子の姿

天草四郎時貞(1962年製作の映画)

-

俯瞰。群れ。
(もちろん、主たる人物は当然のことながらいるのだが)

飼育(1961年製作の映画)

-

個であること、集団であること。
生存(し続ける)のための「悪事」。

埋葬。無かったことにしようと砂をかけるシーンが印象的。(そしてそれがオーバーラップし、次の室内で村人たちが集まるシーンへ続くのも)

太陽の墓場(1960年製作の映画)

-

手榴弾。
クラシックギター(の音楽)

太陽が印象的な映画。
ラストショット、手を取り太陽の方へと向かって走っていく2人の男女を美しいと呼ぶべきかはわからないが、感動を覚える。

青春残酷物語(1960年製作の映画)

-

このレビューはネタバレを含みます

『草の上の昼食』的バイクシーン。
ラストに置かれる(ふたりの別々の)死。

関係性を持続させるための(罪に問われる可能性のある)金稼ぎ。これは、『愛と希望の街』における生きるための金稼ぎとの類似系にも
>>続きを読む

愛と希望の街(1959年製作の映画)

-

このレビューはネタバレを含みます

鳩を撃つことでその罪の反復を終わらせること。(とはいってもかつての罪は帳消しにはならず、当然、いい場所で働くこともできず、おそらく彼らに待つものは、罪の反復で得られていた多少のお金を失った厳しい生活?>>続きを読む

ゴダールの決別(1993年製作の映画)

-

冒頭、アケルマンの『アメリカン・ストーリー』(1988)ヴォイス・オーヴァーようなはじまり。祈り。

「記憶はあってもここではなく、しかしよそのどこにもない」

撮影監督カロリーヌ・シャンプティエ

メイド・イン・USA(1967年製作の映画)

-

「時間からも空間からも離れ人々は迷う」

「“時”の話をするのは、まだ時が訪れていないから “場所”の話をするのは場所が消えたから “時”の話をするのは過ぎ去ったから “人”の話をするのはやがて死ぬか
>>続きを読む

アルファヴィル(1965年製作の映画)

-

人生には現在しかないわ
過去に生きた人も未来に生きる人もいない

現在だけが、あらゆる生活の形態である

現在が恐ろしいのは非現実性ゆえではない
不可逆不変であるがゆえだ
時間が本質を構成する

不幸
>>続きを読む

>|