私たちも日常の会話で、リアル/リアルじゃないという言葉を使うけど、大切なのはリアルか非リアルかではなく、その喜びを他ならぬ私が謳歌できるかどうかだと感じた。その喜び、その記憶が、私たちを形作っている
コルクとおならがまさかそんな展開で役に立つとは。笑った、胸が苦しくなりつつ、笑った。胸が苦しくなった理由は今はまだ言語化できない
何にでもイエスと答えるの躁状態にしか見えなくてヒヤヒヤしたけどちゃんとした結末になってよかった...
理由は分からないけど唯一ハマったアクション映画なのに存在を今まで忘れてた...
最後の言葉が“消費”する行為の全てを凝縮したようだった。怖くて気持ち悪い。ゾッとした。悲劇が起きた時にエンタメ的に消費することと似ている
美しさに惹かれたんだろうけど私はこういう愛にはNOを突きつける人でありたい。歪みはいつ形成されるのか、そもそも歪まないなんてことは可能なのか、ずっと考えてるけど疑問のまま。余計にモヤモヤしてしまった。