「Love Letter」だと思ったら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だった。
今改めて映画化されたこの作品を観ると90年代はろくな時代じゃなかったということだけがわかる。
アンダーソン流ボーイミーツガール。
子供が主人公になってもいつもの変人アンダーソンキャラであることは変わりないが、だからこそよくある非現実的な子供キャラじゃないリアルな子供像が描けている。
日本を舞台にしてくれたのは嬉しいが登場人物が日本人だからということなのかいつもの作品より大人し目。
しかし人間と犬の世界が交わらずそれぞれの意思で動いてるところはアンダーソンらしい。
アニメになってもアンダーソン監督の本質は何も変わらない。
むしろ動物を使うことで人間よりも人間らしいキャラクターが出来上がっている。
どうしようもない家族達が繰り広げるアンダーソンお得意のファミリーコメディ。
とは言えこの頃のアンダーソン作品はまだ単純なストーリーだったし、主人公も普通に改心するし故にラストはわかりやすいカタルシスが>>続きを読む
作中で自分探しをしているのかと問われた主人公が「むしろ探したくないんです、自分から逃げてるんです」と答える。
「自分探し」が流行した90年代以降の社会において社会に馴染めない非リアが抱いたこの感覚は重>>続きを読む
ウェスアンダーソン監督のデビュー作。
題材は3人の若者が強盗を企むというスコセッシから影響を受けたようなクライム映画だが、やってることは後のアンダーソン作品と同じようにどうしようもない変人達が繰り広げ>>続きを読む
ラストの新聞が配られるシーンは「ペンタゴン・ペーパーズ」のオマージュなのかもしれないが、映画の出来の差にアメリカと日本で同じ政治批判映画でもこうも違うかと悲しい気持ちになる。
逆恨みの復讐のため捕まらない範囲で主人公に嫌がらせを続けるロバート・デ・ニーロ演じるマックスがサイコパスで恐ろしい。
「人間関係リセット症候群」は都合が悪くなって逃げ出すことだとよく勘違いされているが、そうではないということがこの「ちひろさん」を観れば理解できるだろう。
「愛がなんだ」というタイトルと作中のセリフの通り、主人公の行動は愛によるものではなく本能で動いてるだけである。
他の宮崎駿作品と違い女性がしっかり描かれているのは元々監督をする予定だった片渕須直の功績が大きいか。
「ゲド戦記」を観て「これはダメだ」と思った宮崎駿が「子育てとは、そしてアニメとはこうだ」とイマジネーションを爆発させた作品。
「セカイ系なんてこんなもの」という揶揄も感じられる。
時代の空気と当時のガイナックスのテンションが生み出した奇跡。
吉田恵輔監督のデビュー作。
どうしようもない登場人物が出てくるのは吉田恵輔の作風だが、この主人公は女子高生をストーカーする冴えない中年男というどうしようもなさすぎる存在。
当然のようにバッドエンドを迎>>続きを読む
この映画でよく批判されているのは「農業」のシーンが説教臭いという点だが、あのシーンで回復するのはレイだけだというのがポイントだ。
エヴァを巡って辛い経験をしたシンジと違い「空っぽ」なだけのレイはこんな>>続きを読む
「赤毛のアン」「セロ弾きのゴーシュ」と拗らせた人間の成長物語を描き続けてきた高畑勲だが、根本の問題である「そもそも我々は何故生きるのがつらいのか?」という問題に古典を使って向き合った。
セカイ系とはかつて存在した「世界」が崩壊して「セカイ」になってしまったことを悲しむ物語である。
故にそれは主人公の不能性とセットになっている。
崩壊した後の「セカイ」しか知らない人間にとってはセカイ系>>続きを読む
森達也の映画を観に来たと思ったら荒井晴彦の映画を観ていた。
主人公二人以外の登場人物はほぼ出てこない、これこそ「セカイ系」ではないだろうか。
奇しくも「天気の子」とほぼ同時期に公開されたが、この映画のラストを観ればセカイ系とは「世界を選ぶか愛を選ぶか」なんてい>>続きを読む
テンポの良い会話劇。
非リア大学生がグレタガーウィグ演じる「魅力以外に取り柄がない」義姉と出会って成長するという、グレタガーウィグ拗らせキャラを皮肉ったような作品。
「純喫茶磯辺」という日常系的空間は「赤字経営」と「性欲」と「ヤリマン」と「娘の寂しさ」で成り立っていた、というところが日常系の本質を表している。