大人になったらまた違う感じ方ができるかもしれない、寝てしまった
こういう系の映画はなぜ宗教的な説教くさい結末に着地するのだろうか
オチを考えるのが面倒くさかったのだろうか
寓話的なストーリーを示唆に富むと考えるか、説教くさいと考えるか
人間にとっての幸福のひとつは「ここにいてもいいと認められる」ことなのだろう。肯定される幸せ。
みんな大好きホブスとショウを堪能できる映画。顧客が本当に求めていたもの。車はなくてもいいっちゃいい。
クローバーフィールドって名前が付いてるから見るしかない。
一応、繋がりっぽいものはあるっちゃある。
一時期、これに影響されてノキアの着信音をiPhoneのコール音に設定していた