とんでもない迫力である。間違いなく素晴らしい映画なのだが、最初と最後のシーンがいささかくどいようにも思われる。彼のその後を描かなくとも、十分に戦争の狂気は伝わるだろう。
ただストーリーを愉しみ、映画が終わればわれわれは何の意識の切り替えも要さずに元通りの生活に戻れるだろう。しこりの残らない作品である。
変わらぬ搾取の構造。主人公一家を襲うのは反逆者としての裁きと瞬く間の転落劇である。尊厳などという甘美な鎧は無惨にもはぎ取られ、そこにあるのは貧困と労働を拒絶された肉体だけだ。救いはない。ただ道があるば>>続きを読む
単なる文明批判ではない。文明の重力を感じながら生きるということ。社会的生物としての人間の強さ、脆さ。全てを受け入れた時、人は十字路に立ち、どの道を進むのか決めねばならない。どこに進もうが幸福も困難もあ>>続きを読む
言わずと知れたネオレアリズモの代表作。以後の映画制作に多大な影響を及ぼした本作だが、いかんせん救いがない。なさすぎる。これが史実に基づくものだとしても、この救いのなさでは現代の視聴者の共感を得ることは>>続きを読む
ネオレアリズモの集大成。こういう映画と出会うために、新たな映画を手にとるのだといっても過言ではない。完璧な作品。
人間心理がリアルすぎて恐ろしいほどだった。デシーカは現代にもなお通底する普遍性を備えた、数少ない大作家のうちのひとりである。
美しいまでの不条理劇。不条理は連鎖することなく、貧困にあえぐ主人公に収斂する。遠のいていく彼の背中のなんと寂しく、陰鬱であることだろう。至福の映画。
ゴッドファーザーシリーズとヒートを足して二で割ったような作品。これだけの内容をよくこの時間でまとめられたと思う。回想シーンが押し付けがましい様にも感じたが、十分にのめり込める作品である。
狂おしくも繊細な世界。苦悩、狂気、妄想、夢…ベルイマンは本作で映像芸術の限界点を模索していたのではないだろうか。後期ベルイマンにおける到達点。
召使いたちの物語でもある。グンナール•ビョルンストランドの演技が神がかり的であった。
世間はセピア色、ゾーンは色彩に富む。まぎれもない芸術作品である。惑星ソラリスではなく、本作こそがキューブリックへの回答であるように思う。ゾーンは木星であり、ストーカーの時代になるとそこはとうに下卑な人>>続きを読む
ベルイマンの青春映画と言われれば油ギトギトを想像するが、そうでもない。ほろ苦い味わい。だからこそ何度も噛み締めたくなる。
映画として面白いのは間違いないのだが、いかんせんつくり物めいた空気感が全編通して感じられた。映画とはそれ自体作為的だが、追体験と言うべきほどの没入感は得られなかった。
長くはない。が、数多ある溝口作品の中でも突出した印象をもたらす。進藤英太郎は国宝級の俳優である。
やはり本作が小津のマスターピースなのだろう。見るたびに嘆息せざるを得ない、無駄の削ぎ落とされた、完璧な作品。
映像芸術の一個の到達点であることは間違いない。特にマックスフォンシドーが最高である。
2度目の視聴。プロパガンダ映画であるとは思わない。あらゆる創作物とはそれ自体、なんらかの問題提議を含む。最も偉大な世界的作家のひとりはこう言った。「芸術は政治に関わるべきでないという主張は既にそれ自体>>続きを読む
久しぶりに見直したが最高の作品だった。崩れかけた家族の絆が、小さな娘のミスコンによって再生していく。笑いあり涙あり。ほとんどカオス的なフィナーレのミスコンの場面は、何に対しても数値化したがる現代人への>>続きを読む
鑑賞中はとくに感動するでもなく共感するでもないのに、見終えた後に強烈なしこりを残す作品がある。私にとって本作がまさにそれだった。主人公は女性だが、どこまでも男性的な作品であるように思われる。この作品を>>続きを読む
すべては周り巡り、そして繰り返す。テーマは良いし後半は甘美だが、ドタバタ喜劇風の前半がすべてを台無しにしているようだ。ただ、尾道の景色は美しい。それを見るだけでも一見の価値はあるだろう。
映像は詩的で俳優はほとんど完璧だ。しかし、何かが欠如しているという感覚が終始さらなかった。私が原作のファンだからだろうか。いつか再度視聴して、この些細な違和感の要因を探ろうと思う。
若く貧乏な脚本家とかつての栄光を忘れられない大富豪の老女優。面白い作品だった。
至高の映画のひとつ。最後の唐突なキスシーンを除けば、ほとんど完璧な作品である。解体される無数の飛行機が並べられるシーンは非常に示唆的であると同時に圧巻である。
羅生門がドストエフスキー的だとすれば、本作はゴーゴリ的である。大部分の勤め人が主人公に共感し、明日からの活力を与えられるのではなかろうか。