夜に羽ばたく鳥さんの映画レビュー・感想・評価 - 9ページ目

夜に羽ばたく鳥

夜に羽ばたく鳥

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プライベート・ライアン(1998年製作の映画)

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とんでもない迫力である。間違いなく素晴らしい映画なのだが、最初と最後のシーンがいささかくどいようにも思われる。彼のその後を描かなくとも、十分に戦争の狂気は伝わるだろう。

ボーン・アイデンティティー(2002年製作の映画)

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ただストーリーを愉しみ、映画が終わればわれわれは何の意識の切り替えも要さずに元通りの生活に戻れるだろう。しこりの残らない作品である。

揺れる大地(1948年製作の映画)

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変わらぬ搾取の構造。主人公一家を襲うのは反逆者としての裁きと瞬く間の転落劇である。尊厳などという甘美な鎧は無惨にもはぎ取られ、そこにあるのは貧困と労働を拒絶された肉体だけだ。救いはない。ただ道があるば>>続きを読む

キャスト・アウェイ(2000年製作の映画)

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単なる文明批判ではない。文明の重力を感じながら生きるということ。社会的生物としての人間の強さ、脆さ。全てを受け入れた時、人は十字路に立ち、どの道を進むのか決めねばならない。どこに進もうが幸福も困難もあ>>続きを読む

無防備都市(1945年製作の映画)

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言わずと知れたネオレアリズモの代表作。以後の映画制作に多大な影響を及ぼした本作だが、いかんせん救いがない。なさすぎる。これが史実に基づくものだとしても、この救いのなさでは現代の視聴者の共感を得ることは>>続きを読む

ウンベルトD(1952年製作の映画)

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ネオレアリズモの集大成。こういう映画と出会うために、新たな映画を手にとるのだといっても過言ではない。完璧な作品。

終着駅(1953年製作の映画)

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人間心理がリアルすぎて恐ろしいほどだった。デシーカは現代にもなお通底する普遍性を備えた、数少ない大作家のうちのひとりである。

自転車泥棒(1948年製作の映画)

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美しいまでの不条理劇。不条理は連鎖することなく、貧困にあえぐ主人公に収斂する。遠のいていく彼の背中のなんと寂しく、陰鬱であることだろう。至福の映画。

そして友よ、静かに死ね(2011年製作の映画)

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ゴッドファーザーシリーズとヒートを足して二で割ったような作品。これだけの内容をよくこの時間でまとめられたと思う。回想シーンが押し付けがましい様にも感じたが、十分にのめり込める作品である。

鏡の中の女(1975年製作の映画)

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狂おしくも繊細な世界。苦悩、狂気、妄想、夢…ベルイマンは本作で映像芸術の限界点を模索していたのではないだろうか。後期ベルイマンにおける到達点。

夏の夜は三たび微笑む(1955年製作の映画)

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召使いたちの物語でもある。グンナール•ビョルンストランドの演技が神がかり的であった。

ストーカー(1979年製作の映画)

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世間はセピア色、ゾーンは色彩に富む。まぎれもない芸術作品である。惑星ソラリスではなく、本作こそがキューブリックへの回答であるように思う。ゾーンは木星であり、ストーカーの時代になるとそこはとうに下卑な人>>続きを読む

夏の遊び(1951年製作の映画)

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ベルイマンの青春映画と言われれば油ギトギトを想像するが、そうでもない。ほろ苦い味わい。だからこそ何度も噛み締めたくなる。

デッドゾーン(1983年製作の映画)

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映画として面白いのは間違いないのだが、いかんせんつくり物めいた空気感が全編通して感じられた。映画とはそれ自体作為的だが、追体験と言うべきほどの没入感は得られなかった。

祇園囃子(1953年製作の映画)

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長くはない。が、数多ある溝口作品の中でも突出した印象をもたらす。進藤英太郎は国宝級の俳優である。

東京物語(1953年製作の映画)

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やはり本作が小津のマスターピースなのだろう。見るたびに嘆息せざるを得ない、無駄の削ぎ落とされた、完璧な作品。

冬の光(1962年製作の映画)

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映像芸術の一個の到達点であることは間違いない。特にマックスフォンシドーが最高である。

別離(2011年製作の映画)

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こういう映画こそが、現代の映画シーンで創り得る限界点なのにちがいない。

彼岸花(1958年製作の映画)

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個人的には本作が小津の最高傑作。佐分利信の歌う楠木正成公の軍歌がエモい。

わたしは、ダニエル・ブレイク(2016年製作の映画)

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2度目の視聴。プロパガンダ映画であるとは思わない。あらゆる創作物とはそれ自体、なんらかの問題提議を含む。最も偉大な世界的作家のひとりはこう言った。「芸術は政治に関わるべきでないという主張は既にそれ自体>>続きを読む

リトル・ミス・サンシャイン(2006年製作の映画)

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久しぶりに見直したが最高の作品だった。崩れかけた家族の絆が、小さな娘のミスコンによって再生していく。笑いあり涙あり。ほとんどカオス的なフィナーレのミスコンの場面は、何に対しても数値化したがる現代人への>>続きを読む

(1954年製作の映画)

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鑑賞中はとくに感動するでもなく共感するでもないのに、見終えた後に強烈なしこりを残す作品がある。私にとって本作がまさにそれだった。主人公は女性だが、どこまでも男性的な作品であるように思われる。この作品を>>続きを読む

さびしんぼう(1985年製作の映画)

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すべては周り巡り、そして繰り返す。テーマは良いし後半は甘美だが、ドタバタ喜劇風の前半がすべてを台無しにしているようだ。ただ、尾道の景色は美しい。それを見るだけでも一見の価値はあるだろう。

ベニスに死す(1971年製作の映画)

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映像は詩的で俳優はほとんど完璧だ。しかし、何かが欠如しているという感覚が終始さらなかった。私が原作のファンだからだろうか。いつか再度視聴して、この些細な違和感の要因を探ろうと思う。

サンセット大通り(1950年製作の映画)

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若く貧乏な脚本家とかつての栄光を忘れられない大富豪の老女優。面白い作品だった。

我等の生涯の最良の年(1946年製作の映画)

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至高の映画のひとつ。最後の唐突なキスシーンを除けば、ほとんど完璧な作品である。解体される無数の飛行機が並べられるシーンは非常に示唆的であると同時に圧巻である。

生きる(1952年製作の映画)

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羅生門がドストエフスキー的だとすれば、本作はゴーゴリ的である。大部分の勤め人が主人公に共感し、明日からの活力を与えられるのではなかろうか。

麦秋(1951年製作の映画)

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「紀子」三部作の二作目。小津フィルムの最盛期を担う中心的作品である。