ダイアン

コレットのダイアンのレビュー・感想・評価

コレット(2018年製作の映画)
2.5
最近、マイノリティの切り取り方の感覚がよくわからない。つまり、普通の表現であれば良いと思ってしまう。「Bohemian Rhapsody」が大々的にヒットした背景にマイノリティロックスターの存在を再発見したことが少なからず一因ではあるが、一方でそのはるか前から多くの表現者たちがマイノリティのハレとケを描き続けてきた。「コレット」でも同性愛や女性の権利の描写が目立つ。時代は20世紀初頭。QUEENのような戦後1960年代以降まで、それは反逆と社会差別が絶対で、むしろ今が特殊な多様性を持つことを改めて感じる。
マイノリティを特徴付け続けることは逆差別にもつながりかねないので、どこかで収束していくべきだと個人的には思っている。そして本作を見て、気分としてはもうそろそろ、自然に居ればよい存在だと感じた。Netflixは顕著だがマイノリティを普通の主人公として意図的に扱う。

コレットが極めて魅力的なのは、女性として男性社会と向き合い、時に過激な言動を恐れなかった強さをもつ一方で、その男性社会のシンボルのような夫・ウィリーと渾然一体の共犯者だったことである。田舎育ちで裕福なサロン文化と一線を画す姿は徐々に移ろい、彼女自身がパリの存在そのものとなっていく。田舎に家を構えて距離を保つ姿も描かれてはいるが、バイセクシャルとして情事を重ねる衝動は不特定多数が行き交う都市の性愛そのものだ。
内部にデュアルスタンダードを抱えるコレットは行き場のなさをキーラナイトレイが絶妙に演じている。純粋で危なっかしいようでいて、怖がりで寂しがり屋。まさに生(=性)の渦中を過ごすエロスの表現が巧みで、夫・ウィリーは大胆で傲慢ながらも老いていき、タナトスを孕む。この奇妙な二人のバランスが見事で、ずっと観ていたい。

すこし物足りないのは、コレットのごくごくわずかな半生に終始していること。欧米圏の人々に著名な女性作家として、人生全体を描くには浅くなりすぎてしまうのか。シドニー=ガブリエル・コレットを読んだことのない白痴な僕にとっては、その後の戦争、ココ・シャネルやジャン・コクトーやサルトルやオードリー・ヘプバーンとの交流が大変観たかった。
だから、中盤に「クロディーヌ」が社会現象となったところで一度集中が切れた。ここからどう展開するのかと。「ジジ」に向かっていく様を取り入れなかったのは、初稿の段階からなのか、16年に及ぶリライトの経過なのか。
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