ダイアン

37セカンズのダイアンのレビュー・感想・評価

37セカンズ(2019年製作の映画)
4.0
前半がめっぽういい。障害、裸、母子家庭、アニメ、性、、、震災以降顕著に露わになったマイノリティや社会的弱者をサブカルチャーと共に描く。そのひとつであっても脚本を書くだけで困難だが、むしろ情緒に走らず正面にある現実から物語を紡いでいこうというスタンスが見えるから心地よい。開始15分ですでにやられたあ、となった。

後半ロードムービーになっていくと確かに物語が現実を覆いすぎるようにも感じる。アニメーションや夜の街がそれを上手く繋ぐ装置にしようとしているが、どちらもあくまで記号っぽいのでそれには及ばない。
TOKYOを撮るために歌舞伎町や渋谷に行きたがるのもドメスティックな立場からすればいささか現実味がないが、HIKARI監督が南カリフォルニア大学など海外の王道で学びまた拠点を置いていることも考えれば、バランス感覚の良さだとむしろ思う。
一体こんな才能がどこから?と反応するが、監督自身は以前から障害やマイノリティに関する短編を製作し、イーストウッドやタランティーノも所属する大手エージェントに身を置くのだから作るべくして作られたといったほうが良い。

演技未経験の佳山明をみて「ROMA」を思い出した。キュアロンも主演に演技経験のないメキシコ人女性を起用し、アカデミー3部門を受賞、主演も多くの批評で年間ベスト演技と評された。
世界の片隅を描くにはその世界での営みを知るものでないとできない(少なくとも今は)。わずか10年ほどのスパンかも知れないがすでに演技の基礎を学びキャリアを積む俳優らの存在価値を根底から考え直す変化の渦だ。
ネームバリューのある役者がCGのチカラを借りて高度障害を巧みに演じるだろう。そもそもディカプリオは「ギルバートグレイプ」で重度知的障害を演じて世界をあっと言わせている。映画がその可能性をより深めている。

HIKARI監督の最も気になるところは、女優やカメラマンなどを転々としながらマイノリティの映画を撮る場所にたどり着いたこと。ちぐはぐに身を委ねられる人は信用ができる。「障害とはこうである」「マイノリティはいかに描くべし」「許容のない社会に怒れ」はエネルギー量こそ多いが、多様性に到達するためには何かが足りない。
それは人間を描くために必要なのは「ちぐはぐさ」と「弱さ」かもしれないと今思うからだ。
ダイアン

ダイアン