ダイアン

15時17分、パリ行きのダイアンのレビュー・感想・評価

15時17分、パリ行き(2018年製作の映画)
3.0
本人たちが演じてて凄いけど映画的には暇、という旨の感想が多い気がする。
クリントイーストウッドは現代アメリカ社会や今を生きる若者の肖像を丁寧に掬い取るために常に革新を模索してるし、そのためにニヒリズムや社会的分断や正義と悪のパラドックスらを淡々と織り込んでいく。世界の警察たる影響力が強大なアメリカだからこそ、老齢のクリントが善悪の境界線をぼやかす映画づくりはインパクトが強いだろう。

作品は現実社会とフィクション映画の境目が曖昧になる感覚に陥ってしまい、観終えて呆然としてしまうこともしばしば。
テロ事件を本人が演じる、という試みはその手法の最たるひとつだし、それを実現できた段階とはアメリカの映画史においても大きなタイミングなのだと感じる。9.11のようなフィクショナルとも思えてしまう出来事、被害者の追悼とイラク戦争へ突入する世論の中で、現実を現実に劇的にひき戻す(引き戻しすぎる)こうした映画づくりは許諾も実制作も発想すらもまだ成熟してなかったのでは、と想像する。

しかし、何かが足りないと思った。一番気になったのはセリフとカットワーク。どこまで脚本でどこまで実際の会話なのかがずっと気になる。そしてカットワークは普通の映画並みに切り替わるから何テイクも撮らせていて、映画づくりの自然が彼らが役者になると不自然に見える。作り込みすぎと、当事者ならではのドキュメント性を映像に忍ばせたほうが列車のシーンに向かって高まっていく(例えばラストの会見でニュース映像を織り込むような仕掛けを彼らのSNSやスマホ映像などでもっと早い段階から加えるとか。インタビュー映像を最初にワンカット入れるとか)。

などとテクニカルな好みはいくらでも言えるが、なによりもクリントは「映画にできること」「映画が描くべきこと」に正面から向き合って形にしていく姿勢が凛々しく、カメラの手前にいる彼の存在を感じながら観る体験に痺れる。
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