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ブラック・クランズマンのダイアンのレビュー・感想・評価

ブラック・クランズマン(2018年製作の映画)
3.5
オールドスタイルな雰囲気を楽しめる演出にしながら、実際に今の世界で起きていることを大胆に練り込む。「万引き家族」「パラサイト」と世界の格差や貧困を語る社会的な映画が多く見受けられるが(当の映画監督たちはむしろそこに生きる家族や舞台を描きたかったのだと思うが)、「ブラック・クラウンズマン」の場合は最後に差し込まれた痛烈なドキュメンタリーが語るように、むしろ社会を斬るための映画だと感じる。社会に対して声を上げることと文化を育むことは限りなく同義に近しい黒人社会をスパイク・リーはある意味で今も変わらず生々しく表現し続けるひとりだろう。

「ブラックパンサー」がアクションヒーロー像を再定義したように、映画の主客は今後も多様に変化し続けるだろうが、その中であえて1970年代の実際の出来事を描こうとしたのは象徴的だ。KKKは1920年代に世界400万人の会員を抱えたが1970年代頃には2000人程度にまで激減。文字通り秘密結社化した。超マイノリティである彼らのなにが象徴的かと言えば、そこに通底するのは蔓延した「ぼんやりとした不安」ではないかということ。
KKKメンバーは反ナチスや黒人差別をするその根源に、論理的な実証は何もない(少なくとも映画のなかでその理由を整然と語れる人物はいない)。長期するベトナム戦争に対する反戦主義や、ブラックパンサー党に集まる“ブラックパワー”の継続的な力強さの影に、白人達は自分たちの生活、そして自分たちが築いた(と思いたい)アメリカの崩壊の危機を重ね合わせ、正義の名の下に集会を繰り返し、全体が望んだわけではなくとも一部が過激化する。現代の世界で蔓延するレイシズムと比べて、何が違うか。

もうひとつ象徴的なのはジョン・デヴィッド・ワシントンやアダム・ドライバー演じる警察。打って変わって彼らには正義に対する意識が極めて低い。巧みに嘘を語りながら楽しむようにKKKとの接触を続ける。これを現代と比較する必要があるかはわからないが、今も昔も警察が正しく機能していないと、アンチテーゼをたっぷり込めているように見える。

今にも銃弾が飛び交い、血が流れそうな雰囲気を醸しながら、不気味にポップな時間が流れるのはタランティーノやコーエン兄弟の描く世界にも通じる。悲劇と喜劇の交わるサスペンスは何度見ても力があるし、こうした作品は今後も増えていくだろう。
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