ダイアン

精神0のダイアンのネタバレレビュー・内容・結末

精神0(2020年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

想田さんの映画の良いところはオープニング。静かにその世界にいつの間にか入り込んでしまう。毎回そう。気づけばカメラが自分の目になり、気づけばその場に自分も居合わせたように感じる。常日頃私たちが無意識に行っている周囲を観察して世界を知覚することが、スクリーン越しに始まる。まさに自分の感覚が始まっていくようなオープニングで、なんとも不思議で心地が良いのだ。

普段映画を観ていると当たり前にエフェクトや音楽やCGや派手なアクションやら、とにかく立ち上がりは最初にして最高ピークのひとつだからと始まりの盛り上がりは贅沢三昧。ひと口目から贅の限りを楽しめるのは映画の愉しみに尽きるが、時に胃もたれしそうになる。たまには野菜や果物をそのまま齧ってみると、忘れていた素材の味を再発見できる。

一方でその観察に集中できなくなるのが後半。山本医師の自宅で過ごし始めるシーンから。端的に言えば想田さんの存在が一歩引いた観察者ではなくなり、その場の主人公になっていくところ。元々黒子のような居て居ない存在ではないのは十も承知だが、夫婦が想田さんを気遣い意識してしまうことと、反射的に「僕には構わず」と振る舞ってしまうやりとりは、映画の観客達の居場所を見失わせてしまう。

そしてもうひとつの苦しさが愛の物語へ向かう編集。あの素材では正直苦しい。出来事がないからだ。日常の営みを見つめるにしても、あまりに内容がない。もっと執拗に撮るべきだったのではないか。ナレーションや音楽が無く、意図的な演出の目線を廃することに観察映画の絶対的な強さがあるとして、ではあの撮れた現実はその強さを託せるだけの素材だったのか。少し疑問だ。当たり前だが無添加だからこそ素材の味が全てだ。ではなぜ山本さんの奥様にはマイクを付けなかったのだろうか、など。
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