purigoro

ハッピー・オールド・イヤーのpurigoroのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

こんなにも、リアルタイムの自分と色々な気持ちや状況を重ね合わせてしまった映画はこれまでなかったかもしれない。

それはきっと、主人公の年代や職業、兄弟構成など(実家に色々な楽器があるという点まで)が自分に近かったということだけではない気がする。

良い意味で、映画なんだけれども映画を観ていないような、ドキュメンタリー番組を観ているような、はたまた自分の姿を俯瞰して見ているような、そんな映画だった。

自分自身がここ数年間、仕事は激務で、かつ休日はほぼ出かけていたためほとんど寝にしか帰っていないような日々を送っていたなか、コロナ禍で突然、溜まっていた家の大片付けが出来る環境に至るという状況に身を置いていた。今年の春頃から半年くらいかけて、数年前から溜まってしまっていた色々な物の整理をし、どうしても捨てられない物や、念のため取っておいた書類だけが保留として残っている状態だった。

そんななか、ふと目に留まり、引き寄せられるように観たのがこの映画。
親のこと、兄弟のこと、友達のこと、お別れした人たちのこと。現在進行形の自分の感情が色々と動いた。

自分は思い出のあるものやまだ使えそうなものなどはなかなか捨てる決心がつかないタイプだ。だから、映画の冒頭で主人公がリフォーム後の真っ白な部屋でインタビューを受けていたシーンや、ゴミ袋に何もかもを振り返らずに入れていくシーンを見たとき、非情だとさえ思えた。(もちろん、何も考えずあれだけ思い切り捨てられたらどれだけ部屋も気持ちもスッキリするだろうと!と羨ましくもある。)

だが映画を観終えて、自分自身、まだ捨てられないもの、捨てられるもの、捨ててきたものを振り返ってみると、物を捨てられた時というのは、その物に紐付く何か(思い出、記憶、感情、もやもやした気持ち)を消化(昇華/清算)できた時なんだ、ということに気付かされた。

こんな簡単な言葉にはしたくないけれど、簡単に言えば「過去を清算できた時」ということだ。もっというと、過去を清算出来たときに初めてその物とお別れできるのではなく、過去を清算して、もう一段階ステップアップした自分になれたとき、「あれ、こんなのまだあったんだ」とか「懐かしいけどこれはもう使えないから捨てよう」と、明るい気持ちでサヨナラ出来るんだと思う。

だから、後ろ髪引かれながら無理矢理捨てるのは、もしかしたら違うのかもしれない。

無理矢理捨てちゃって振り返らないっていうのも手なのだとは思うし、無理矢理サヨナラしたおかげで気持ちが楽になることもあると思う。
それは状況次第だし人それぞれだとは思うけど、この映画を観て、無理に焦って何もかも振り返らずに全てを断ち切って前進していくということをしなくても良いのかもしれないと、少し感じた。

きっと人にはジーンのように、「破壊王サノス」が訪れるときが一度や二度はあるんだと思う。そのタイミングが来たら、その時はもう思いっきり!!気持ちよくサヨナラ祭りをすれば良い。

物とお別れすることの良い面を初めてきちんと理解することができたこの映画は、今後の私の人生に大きな影響を与えてくれる気がするし、今後何かとこの映画を思い出す機会がありそうだ。物とお別れすることの意味とともに、無理に焦って人との関係性や自分の気持ちにケリをつけなくても、来るべきタイミングできちんと向き合えば良いんだよと、無理矢理終止符を打たなくて良いんだよ、ということを教えてくれた気もした。

ジーンがお父さんに電話をし、お父さんとの関係性と向き合えて、写真を捨てられたのも、この歳になって、このタイミングだからこそ出来たことかもしれない。

物との関係性というのは面白い。物自体に感情はないし、物自体に記憶もない。だけど私たちはどうしても物自体に対して感情を持ってしまい、物を安易に破棄することができない。それは、物自体に色々なものを投影してしまうからだと思う。だけど、良く考えてみると、私自身、数年前に亡くなった祖父母やずっと一緒にいた愛犬との「思い出の物」というのはほとんど持っていない。それでも未だに皆たまに夢に出てくるし、祖父母や愛犬との思い出は、思い出の物を見なくてもいつも心の中にあって、いつでもみんなの温かさを感じることができる。だから本当は、物自体がなくても大切な気持ち・感情・思い出というのは自分の中にあるのだと思う。

逆に言うと、ジーンのお父さんのピアノのように、もしかしたら、不意に、突然に、予期せぬ事態で失ってしまったものの身代わりとして、物をとっておきたくなるのかもしれない。物がなくなってしまうと、その時の記憶や、大切な事実までもがなかったことになってしまうんじゃないかと、そういう気持ちになるんだと思う。。


ストーリーとは関係ないが、ジーンの家のピアノの上にあった白いメトロノームが、まさに自分の実家にあるメトロノームと瓜二つで、もしかして同じメーカーのものなんじゃないか?と思うほどだった。あの、少し丸みを帯びた形のメトロノームは、その時代(自分の親世代が使っていたもの)に主流のデザインだったのかもしれない。そこまで計画されて小道具も設定されたんだろうなと思うと、つくづく映画の製作に関わる人って凄いなと思う。私にとっては、あのメトロノームがあるかないかでは、だいぶ気持ちの掴まれ方が違ったと思う。

実家のピアノを弾くことはあっても、メトロノームを使うことは最近なかった。実家に帰ったら、またあのメトロノームの音を聴きたいと思った。

…まだ捨てられないものもあるし無理矢理捨てなくても良いんだ、などと感想を述べたけれど、この映画を観た後、家の大片付け大会をしたくてしたくてしょうがない気持ちになった。笑
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