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MEMORIA メモリアのpurigoroのネタバレレビュー・内容・結末

MEMORIA メモリア(2021年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『メモリア』を観て衝撃を受け、「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ」(@シアターイメージフォーラム)にて、『真昼の不思議な物体』→『光りの墓』→『ブンミおじさんの森』→「短編集」を鑑賞。その後、『世紀の光』も鑑賞。

・自分の中のキーワード:胎動(地殻)、媒介者、繋がり、時空を超えた人の声、骨、波(振動)

『メモリア』鑑賞直後は、映画館の良い音響で鑑賞したおかげで、まるで映画を観にきたのではなく、音楽を、いや「音」を聴きに行ったかのような感覚になった。もっと言うと、音を映画館に聴きに行ったと言うよりも、森の中に数時間佇んでいただけだったかのような感覚に襲われた。

映画は、ただただ不思議な静かなトーンで進行し、何事もないような日常の風景で進んでいくのだが、時折、不思議なことが起きる。
映画を観ながら、「あれ…?」「え…?」「なんで…?あれ、もしかして私の記憶違い…?」という気持ちで見進めるのだが、これはまさしく主人公のジェシカと同じ気持ちである。

「事実」とは何か?
「自分が見聞きしたことが事実」とは限らない。一方で、「自分が見聞きしたことが事実」でもある。
何が事実で何が事実ではないのか。
ジェシカにしか聞こえない不穏な【音】は、その音が聞こえないものにとっては【事実】ではない。しかし、結果的に宇宙船となって出てきたように、それは【事実】であった。

では、レコーディングスタジオにいた男「エルナン」は? ジェシカの想像の中の人物か、もしくは夢の中の人物であって、実在しない人物なのだろうか。そうだとすると、「エルナン」という男の存在は、「嘘」なのだろうか。仮にジェシカの想像のなかの人物だったとしても、夢の中で見た人物だったとしても、それはゼロから生まれた存在ではない。確実に何かの化身である。つまり、何かのきっかけがあってジェシカの脳内に現れたのである。だとしたら、最初に会った「エルナン」は何かを示唆するものである。現れた以上、意味があるものなのだ。(もしかしたら、『惑星ソラリス』で出てきた、ソラリス上の人物たちに近いのかもしれない。)

『光りの墓』を観て感じたことは、『メモリア』を観て感じたことに近かった。メモリアもそうだが、何故「人」が媒介者となるのか。そこにアピチャッポンの伝えたいことの核となる部分が隠されている気がした。


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〈観賞後のメモ〉
胎動。
ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の天使」という概念。

土地を離れたものにしか分からない心理。必ずしも、自分にとっての真理は自分の身近なところにあるとは限らない。離れたからこそ見えてくるものもある。越境。

なぜ、「人」が媒介者となるのか。
インターネット社会だからこそできる繋がり。場所に固定されない観念、概念、想い、意識。
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