purigoro

林檎とポラロイドのpurigoroのレビュー・感想・評価

林檎とポラロイド(2020年製作の映画)
-
記憶を失った男性が、記憶を取り戻すプログラムに参加しながら、色々な経験を重ね、ゼロになった自分の人生に、新たに自分自身の自分ならではのストーリーを作っていくという話。

記憶喪失者のためのプログラムは、最初は人間実験のような怪しい感じがして、「悪意がある組織に実験的に使われているのではないか…?」などと冒頭では思ってしまっていたが、どうやらそうではなかった。単純に、本当に記憶喪失者のための回復プログラムだった。(そんなものが本当にあるのだろうか?)

自分の人生が突然、消えてしまったら。
突然、誰も知らない場所で生きていかないといけなくなったら。
記憶喪失、且つ自分の肉親がいない、もしくは友達など頼れる人が近くにいなくて自分が記憶喪失になったことを知らせることもできない、自分の家にも帰れないがゆえに、「どこの誰か分からない人」になってしまったら。

今まで、「自分がもし記憶喪失になったら」と考えたことは何度かあった。しかし、「記憶喪失になって、且つ、肉親などの身寄りがいない場合」というのは考えたことがなかった。
なぜなら、「もし自分が記憶喪失になってしまって会社に行けなくなったり家族や友人に連絡ができなくなったとしても、恐らく家族が捜索願いを出してくれるとかの何らかの方法で、自分以外の人が自分を見つけてくれるだろう」と漠然と思っていたからだ。

しかし、もし、万が一、外国で1人でいるときに記憶喪失になってしまったりしたら、誰も自分を見つけてくれないかもしれない。そうしたら、突然異国の地で、新しくこの世に存在し始めた人間Aとして、ゼロからの人生を送らなければならない。そう思うと、ゾッとした。

しかし、そんな悲観的な思いで映画を見始めたのだが、最終的には、万が一そんな状態に陥ったとしても、何かしらできることはあると、この映画を観て希望を感じることができた。どんな状態でも、新しく人生を作っていくことができる。その希望がある。

そのために必要なことは、以下である。

・何かをすること(just doing something)
・日常生活で必要なことをすること(スーパーに行くこと、スーパーのおじさんと話すこと)
・それを記録すること(日記でも良い、写真でも良い)
・記録したものを思い返すこと(思い出すこと)
・自分だけでは完結しないことをすること。(誰かに何かを頼むこと。例えば、イベントに同行してもらうとか。)つまり、誰かと人生の一部を共有すること。
・思いっきり失敗すること
・時には、他人に訝しげに見られるようなことをすること(他人に笑われること)
・頭のネジを外して楽しむこと、たまには羽目を外すこと
・自分の本能に従うこと
・これらの、自分が経験したことを誰かに話すこと(それらを、自分の人生として存在させること)


この映画は、「記憶喪失」になった人がゼロから人生を積み重ねていくことで、新しく人生をリスタートさせる、というストーリーだが、これは記憶喪失になっていない私たちにも当てはまることが多いにあると感じた。

我々も生きていれば、思い出したくない過去の1つや2つがあるだろう。消したい過去もあるかもしれない。「記憶が消せたら良いのに」と思うことや、「あの時に戻れたら…」と思うこともあるだろう。自分の人生に希望が見出せない時、何もかもがどうでもよくなって投げやりになってしまう時もあるかもしれない。もうこの先希望なんてないと思うこともあるかもしれない。でも、それでも人生は続いていく。そして、その否応なしに続いていく人生が、仮に自分にとってゼロからのスタートになってしまったとしても、そこからまた新たに自分だけのストーリーを紡いでいくことができる。だから、どんなことがあっても、そこでもうお終いだと思わなくて良い。

いつだって、スタート地点に立つことはできるけれど、終わりということはない。

ゼロからスタートした人生にだって、これまでの人生と同じように、楽しいこともあれば悲しいこと、辛いこと、どうにもならないこと、悔しいこともある。だけど、それが毎日を生きているということになる。

もし自分の人生が絶望的に思えたのだとしたら、試しに記憶喪失になったつもりで、このミッションプログラムに参加したつもりで、ゼロから始めてみると良いかもしれない。記憶喪失になったと思えば、もう怖いものはない。(いつも機嫌を窺わないといけない上司、山積みの仕事、しがらみの世の中、世間体、何もかも記憶喪失になったつもりで忘れてしまえば良いのだ。)

例え記憶喪失になったとしても、「毎日林檎を食べる」という自分の好きなものに対する気持ちや、本能的な好き嫌い、得意なこと不得意なこと、興味があることないことなど、個別の人間に備わった固有の傾向が残っているだろう。そういうものが、また人生を新しくスタートするときの道標にもなるだろう。
そんな感覚で、今の環境を思い切って変えてみることもできる。

重要なのは、「スタートを切る」ということ。そして、「自分で何かをする」ということ。そして、「他人と何かをする」ということ。そしてそのようにして毎日をとにかく過ごすということ。

これが出来れば、記憶喪失になってもならなくても、私たちはいつでも人生をリスタートすることができる。そんな希望を、この映画は与えてくれた。
purigoro

purigoro