タイトルと重なる「プロジェクトD」。この『D』とは一体何か?? 作中で高橋涼介が「夢」と口にするので「dream」の頭文字である伏線が示される。この台詞が出るまでは主人公藤原拓海の特技である「drift」ではないかと視聴者は思う。先の見通しが広がる若者たちの技術と未来を表わした90年末の印かもしれない。援助交際やアウトオブ眼中などの言葉や、いまではもうない車の型や、PHSを持っていながらなぜすれ違いが起きる恋の行方など、失われゆく小道具や演出に懐かしさを覚える。気楽に身軽に「夢」を語れた日々を振り返ってしまう。
だが、この令和の時代から本作を見ると『D』は墓標のように感じられる。「夢」そのもののはかなさ。
昨今では車の運転そのものが変わってきた。マニュアルでシフトチェンジする演出は最近のハリウッド映画のカーチェイスでも見ることがなくなってしまった。最近は8速や10速のオートマ車も登場している。ドライバーがマニュアル操作で効率よくシフトチェンジ出来るのだろうか??
エンジンは内燃機関より電気で直接回したほうが効率が良くなってきた。
そしてなにより、運転を自動で行う車両が登場してきている。「drive」そのものが機械化されているのだ。
未来の人はこう言うのかもしれない。かつての日本の若者は峠の道をdriftでdriveするのが夢だったのだ、と。
「運転」するはかなさの始まりに『頭文字D』はそびえ立っているがゆえに、人々を魅了している作品なのだろう。