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チェンソーマンのnobuoのレビュー・感想・評価

チェンソーマン(2022年製作のアニメ)
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※結局脱落しました。レゼ編やるなら制作会社か監督変えて欲しい。


まず俺のスタンスを表明しておくと、原作は好きだが藤本タツキ信者・ファンではない…といった具合。今は亡き高畠エナガ先生に憧れて漫画家になった、という経緯に関しては拍手を送りたい。

俺がこのアニメ版に妙に乗り切れなかったのは、監督と原作の解釈が異なるからだろうな。
俺自身はチェンソーマンに“意識と格調の高さ”は求めていなかった。でも監督はそれをチェンソーマンに求めた、或いはチェンソーマンで表現しようとした。これはスタンスの違いの問題なので貶すつもりはない。今のところは…。
毎話主題歌変えるくらいなら、いっそ毎話制作会社と監督変えるくらい思い切って欲しかった。絶対無理だけど。湯浅監督やら今石監督やらのチェンソーマン観てえなぁ…。

OPの映画パロディ・オマージュ乱発も手放しで喜べない。どれだけ本編に映画ネタがあろうと作者が映画ファンであろうと、チェンソーマンは漫画で、藤本タツキは漫画家。そして本作はアニメだ。どれだけ実写映画風の演出・演技を盛り込んだところで実写映画にはなれない。実写映画風にするとしても、参照する作品群が原作のテイストとズレたものが多いような…。
それに以前チェンソーマンは「邪悪なフリクリ」を目指している(作劇の破茶滅茶さを指していると思われるが)…と藤本タツキ自身が発言した以上、ジャパニメーションからの影響も当然あるはず。なのに「脱アニメ」を目指し続ける中山監督よ、本当にそれで良いのか。いや、面白いモノになっていれば良いんだけども。

沙村広明との対談などを読む限り、藤本タツキはあくまでも画業を生業としており、映画以前に様々な漫画家をリスペクトし、漫画家としての信条を持って創作活動に勤しんでいることがわかる。
なので単に“シネフィル要素”だけを切り取り前面に推して来られると、漫画家としての藤本タツキが軽んじられている・作品の本質が無視されている気がして複雑な気分になる。
ガチファンでない俺でさえこう思うのですが、タツキガチ勢の方々にとってはいかがでしょうか…?
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