原作漫画を何十回と通して読んでいる、原作ファンの厄介オタクとしては、これを幽遊白書と認めることはできない。
幽遊白書の本質は人間ドラマにある。
その本質の部分が、改変し、要点をまとめて描いたことで薄っぺらくなっていた。
余白や間の魅せ方で人間ドラマに深みや重みを持たせている原作を描き切れていないのだ。そこを描き切れないのであれば、製作しなくて良かったと思う。
もちろん、アクションは悪くなかった。
しかし、アクションは幽遊白書の本質ではない。アクションを描きたいのであれば、幽遊白書でなくて良いのだ。
特に、戸愚呂戦のクライマックスで、桑原を標的にされ幽助がキレるシーンではそれが顕著に出ている。
原作の、悲哀に満ち、困惑し、茫然自失になりながらも葛藤し、幻海の説教を理解して行く幽助が最高に格好良いのであって、キレて力に満ち、強い意志のまま戸愚呂に立ち向かう幽助が見たいのではない。
戸愚呂を足止めする為に幽助以外の3人が手脚にしがみつく演出は言わずもがなである。
作品の理解度、解像度を保てないのであれば製作しないで欲しいというのが一原作ファンとしての想いだ。
これを観て勘違いした人が、原作から遠のいてしまうようなことがないように願う。