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FM999 999WOMEN‘S SONGSの8637のレビュー・感想・評価

FM999 999WOMEN‘S SONGS(2021年製作のドラマ)
4.3
これを観てると、男が軽薄な存在に見えてくる。"男"でこれを企画しようものなら、すぐに答えが見えてくるでしょ。単純すぎて。
無差別に女として生まれ、それが日々のハンディキャップになったりして、なんか知らぬ間に男の欲求処理の対象にされて、それで子供ができて、産むも捨てるも、責任感を持ち続けるのは母親の方で。こんな時、男が何をしてあげられるだろうかとか、考えたことがなかった。
人間、生まれれば男か女しかない。いや、そんな事もないのか?とりあえず、これは罪だ。

少し不快な話になるので、必要があれば飛ばして欲しい。
この間、今まで定期テストのためにまとめてきた暗記用のノートのようなものをパラパラめくっていたら、1年生の保健の授業で僕は既に子供を産むための方法を習っていたんだと思い出した。そこには、今読んでいるととても生々しい"それ"が描かれていた。これを書いたのが一昔前の何も知らない自分だという事を、信じられなかった。

だからこそ「女ってなに?」は女性以上に男が知りたい疑問でもあった。女性を傷つけずに生きていくために。最後に清美は「女を守るのが男、って価値観古い」と毒舌していたが、今の女性は男性から解放されて生きられる程強いのだろうか。
男は女性の選択を認め、見守るしかない。妊娠を中絶しても、それがレッテルにならないように。

でもこのドラマの総監督はめちゃくちゃ男性だ。それがこのドラマのよくできているところだと思う。多少の偏見などあるかもしれないが、全くの批判も起こらず、男性も女性も唸らせてドラマを完結させた。女性監督では躊躇って逆に踏み込めないのかもしれない。監督は父として、出産を2度経験している。

それと、やはり湯川ひなの否めないヒロイン感が好きだ。だけど、だからこそそのヒロイン像が悲劇の方向へ向かっていくのは哀しかった。

映像の色味や漏れ出てしまう虹色が、時に玩具箱のようなメルヘンを感じさせる。奇抜な視点含め長久監督のあの映像がテレビで放送されていたという事実に興奮する。
また、ラジオというごく身近な存在(今はそうでもないのかな)で語られることで現実を直視できた。
音楽的には「女に恋した女」「ビジーフォーの女」あたりが好きだった。これでもまだ、数十億人もいる女性の中の約三十人の意見しか聞いていないのだが。

僕の中に残る一つの疑問としては、ある意味"残酷な教育番組"のラストをこんなにもドラマチックに消費して良かったのか、という事。まぁいいか。人間、疑問を持って生きていいじゃない。


最後に、このドラマで、あのラジオから流れてきた全ての音楽への感想を、少しずつですが書いてみました。

「一番目の女」・女という偶像の起源
「毛皮のコート着る女」・時代、風習を盲目的に守り続ける現代社会の抑圧からの解放
「そこだけ雨が降る女」・女性にとって当たり前とされてきた不自由
「サイの女」・身を捨て労働に捧げる女性たちの現在の在り方
「漁に出る女」・強制的に労働にのめり込む人間の典型例
「総理大臣の女」・女性の何にもなれない生き辛さを反対に表した対照
「女に恋した女」・自由とそれによる過去への揶揄を区別する冷酷な眼差し
「ハサミの女」・行き過ぎた行動が"純愛"を思いそう呼ぶ矛盾
「泥棒猫の女」・愛にもある裏を映し出しそれまで受け入れようとする人々を後押しするハッピーエンド
「ミラーボールの女」・可愛いの役目と共に在るべき人間性
「魔法少女の女」・周囲と自身の容姿や自信、その比例
「まゆげの女」・自己満足の程度を知りながらも大切にしていく肯定感
「カマキリの女」・下心だからと否定された当たり前への異論
「パリの女」・身体的、精神的に起こる男女のすれ違いが想起させる"同意"の重要性
「幽霊の女」・感情の鬩ぎ合いの結果生まれた是とも非とも取れる欲望
「インターネットの女」・自由世界のただ一つ重要な掟の、ただの連呼
「エビで宇宙をゆく女」・現実逃避の悦びと追いつかれた現実の虚無
「ポテトがあがる音きく女」・三文字、六文字だけで綴られた社会的孤独にロッキン
「ホーミーの女」・(鬱の女性 meets さだまさし)到達することの無い死への目標の中感じた生の希望
「風水の女」・決めつけた=縋ってしまったことで遮断されたかもしれない"生きる幸せ"
「ビジーフォーの女」・幸せのつくり方が上手い女とその選択の非社交性
「内臓宝石の女」・内面で煌めく"自分らしさ"の厄介さ(難解!)(それでも生きている)
「時間を止めた女」・不可能な永遠の美容のために嘘と焦燥で塗り固められた人生
「歌い終わりに死ぬ女」・薄れる意識の中で走馬灯を浮かべるかのように未練を潰す作業
「卵を産む女」・周期的に希望と絶望を迎える朝、自分では理解し得ない女性の所業
「タコを食べる女」・三歳児の"それ"を後退り無しで食い進める勇気
「怪獣の母の女」・題名の重複の違和すら包み込む、そこにあるのは裏切りのない愛
「心臓の女」・口のない"人間"が音楽で奏でるリスナーとの親和性。そうか、これは今だけの話じゃない。このドラマと、このラジオと出会ったあの時から、始まっていたのか。
「999人の女のうた」・すべての女の生き方が"歌詞"。その発想は、このドラマの品性を崩してはないだろうか
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