毎日カップめん

カウボーイビバップの毎日カップめんのレビュー・感想・評価

カウボーイビバップ(2021年製作のドラマ)
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●B級

某有名動画投稿サイトに本作を鑑賞した感想として、「B級作品みたい」との意見があった。

何故そのような感想となるのか考えてみるに、その理由は端的にいって、「スパイクの死の回避」の所為ではないだろうか?

アニメ版のカウボーイビバップを思い出すと、第一話の時点からすでに物語の主人公「スパイクの死」が宣言されている。
(具体的には、テントの中で暮らすネイティブアメリカンのような人物の口から、「お前は女に出会う、──そして死ぬ」と)

この宣言から、当然アニメ版の監督、渡辺信一郎氏(以下、ナベシン監督)は、初めからスパイクの死を予定して物語を作ったのだろう。(※1)
けれども、今回のNetflix実写版の第一話にはそのような宣言は存在しない。

もし、実写版の制作陣、あるいはスポンサーサイドが、

ようやく始まった大予算のドラマ制作において出来る限りの続編を望んでおり、故に脚本の段階で起こり得る問題に対処した結果、「スパイクの死によって終焉するナベシン監督のビバップ」を回避すべきものと考えたとしても、なんら不思議はない。
(それはさながら、TV版攻殻機動隊において「素子が人形使いと出会わない時間軸を舞台にしている」のに似ている)

しかし大変残念なことに、それはビバップから「ナベシン監督らしさを取り除く」ことであり、となると残るは、

アインがいきなり牛と会話したり、みんなでマジックマッシュルームをキメたり、エドが宇宙生物をお饅頭と間違えて食べたり…etc、

といった「B級感」のみであるのは必然である。

「一つの目で明日を見て、一つの目で昨日を見つめる」スパイクが、明日への夢から覚め、昨日、即ち過去と対峙したことで最期を迎えたのが「ナベシン監督のビバップ」なら、
「昨日の夢から叩き起こされ、明日を見ざるを得なくなった」のが、今回のNetflix実写版ビバップではないのか?

なにやらそんな、方向性の違いを感じる作品であった。


(※1)
比較的最近、渡辺信一郎監督が制作したアニメに、「キャロル&チューズデイ」(2019年放送)という作品がある。
それに関連したインタビューに答えて監督は、「自分は物語の最初と最後を考えるのが好きで、その途中の部分は別の脚本家に任せるスタイル~」という様なことを発言している。