里

二十五、二十一の里のネタバレレビュー・内容・結末

二十五、二十一(2022年製作のドラマ)
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このレビューはネタバレを含みます

完結から1週間……製作者の話の、「感情さえも体力がいると気づく前」的なので腑に落ちた気がする あれ以上に愛する人ができるわけではなく、あの時あの瞬間しかあの人でしかあの熱量では愛せなくて、でも手放すのも若いからだ なぜ4個上にしたのか、だからこその愛と別れだなと思えた 同い年だからこそともに愛を学び同じ熱量で愛せて、永遠を永遠にできたのだろうと思う イジンは25の時はすでに絶望を共有するほどの体力は残っておらず、でもヒドはまだ21だった 日記のドラマで訳された以外の部分 それがすべてを表していて。付き合い始めるのがユリムたちの方が早かったのもだからだろうと思う 2人は同じ速度で、同じ熱量で愛を学んでいったけど、ヒドはイジンに愛を教えてもらったんだよね 結局そばにいない人と結婚したの?じゃあイジンでよかったじゃんと思ったけどそうじゃないんだなあ、そばにいなくても愛せるということを、ヒドは学んだから今は平気なんだろう あの첫사랑があったから人生があるんだろう


最高 絶対毎週楽しみにしちゃって待ちきれないから見るの我慢してたけど見ちゃった やっぱ最高 開始5分で涙出てきたな 映像がきれいで

ナムジュヒョク、麗の時も可愛いなあと思ってはいたけどスタートラインで大手かけてきてこれで完落ちした 私の負け

でもやっぱ日本語だったらストレートに伝わりすぎて(私の母語が日本語だから)恥ずかしい言葉も(ストレートすぎて小っ恥ずかしいという意味)韓国語だからいけてるという節もあるかしらと思ってたんだけど、やっぱそんなことないよなって思った

ヒドはイジンを「ごめん」から解放したかっただけなんだと思う、誰よりも応援してたから、誰よりも愛してたから だから手放したんだと思う もう手に入れたから、その記憶だけで十分だから

ヒドとイジンは話して、時間が経って、納得して思い出になってるんだろうけど、私としては5日で見たので全然消化しきれなくてずっと考えてしまう、本当に2人は別れなければならなかった?その選択肢しかなかった?どうしてもお互いの気持ちを分合わなければならない?理解できないところも、気持ちを分け合えないことだってあるでしょう、だって違う人間だから それでもあれはたしかに「愛」で、むしろ恋とかにされるよりもそばにいなくたって、ということもできるだけど、でも、別れがあるなんてむしろ恋では?

あんなに愛していて他の人間とどんな感情で向き合うのだろうか、上回る?そんなことあるの?私が幼い?それともそこまででないから向き合わないという選択ができて一緒にいられる?愛だから一緒にいられなかった?

お父さんが海外にいる感じとかなんとなくイジンを予感させるような感じだったからお父さん誰?!?ってなったけどほんとに思い出ってことなのかな

→と思っていましたがイジンが養子でヒド母が認知症説が一番しっくりくるからそれでいこうと思う(とは) そしたら物語の主題は懐かしい青春、という陳腐な(そんなこと言うな)(個人的に男女の1個の恋というにはあまりにもデカすぎる愛だなと感じなから激しいこと言うけど許して欲しい)ものでなく、時代と共に生きてその影響を受けながら、それでもどこにいても誰よりも味方で理解し合える関係というものだと思うんだ、性欲の絡む恋ではなくて これは私の問題だけど納得出来ないんだ そばにいないとダメになるという関係が 全てを分かち合うという前提が 例えばユリムが泣きたい時に1人で泣くことも、ジウンに助けを求めることも、お母さんに当たることも、ヒドに相談することも、イジンに怒ることも、それぞれへの接し方で見せられる部分であるように。だからこそのアトリエの名前、持ってないはずの写真、ミンチェが驚くこと、健康診断、赤い車、結婚おめでとう、様々なことに繋がると思うんだよなあ

ってかメイキングのナムジュヒョクがいつもより大人しいってかなんか…分かりますか!?インスタもあんなにスタートアップの時は更新してたのにさ…なのに最初から合ってるとか言うのさ、逆にガチじゃん……LOVE……

最後のシーン、日本語では「初恋」になってしまうけど韓国語では사랑という単語が入ることはかなり大事だなと思う、感じ取るニュアンスが私とネイティブでは違うのではないだろうか・・・

あとやっぱ15年前ってことはミンチェの年齢から考えるとパパだよな???

でもやっぱOSTの「もう」って言葉が、ああ、終わりなんだなって感じする、愛し合った思い出で生きていけるのかな 相手は?相手……別の人間をどんな気持ちで??だってそれだけで生きていけるくらいの思い出ってことは越えられないってこと?

「恋愛」の種類でない愛はもちろんあるし、どちらかというとヒドとイジンはそっちの分量の方が多かった気がして、だから付き合わないルート(幼馴染の愛のまま的な)なら理解できるんだけど、一度付き合ってしまって別れがあると、「こういう風に愛してはダメだった」を=恋愛ではなく愛であったという解釈にするってことができるけど、その上でヒドのように結婚出産ルートがあるとそれがイジンとは違ったということだとしても(そばにいなくても愛し続けるし応援し続けることは可能だけど)結婚してしまうと相手がいるわけで、それはどうなる?ってなる、というのもこれは男だ女だって性別だけで論じることになるから本当に嫌なんだけど、やっぱり結婚した相手が男の中で最も大事に、つまり恋愛だけでなく愛でも最上位にこなければならない、のでおかしな感じになっちゃうんだよな、これが女なら友情ということでなんとかなるが…だからブロマンスって愛だよな?って思うけど別に愛する女がいたりするじゃない?けどこの場合はどこにこの愛を収めれば良いんだろう、やっぱり虹かな 既存のものはないから自分たちで名付ければ良い?それとも初恋の思い出だとしたら殴り飛ばしそう そんな簡単な(初恋の思い出は簡単じゃないという意見はすみませんが却下でお願いします)(私はやっぱり性的欲求を含む異性への感情と愛の違い、つまり友情はなんなのか等の問への答えが見つけられていないので)ものではなくない?この愛は……

イジンがヒドの「左側」が可愛いって即答したの、「いつも隣にいたから半分だけしか分からなかったのかな」を思い出した 名曲すぎるんだよな

イジンがどうなったか描かれなかったのはヒド目線だったからかなあって思えてきた
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