koyaaa

エルピス—希望、あるいは災い—のkoyaaaのレビュー・感想・評価

2.5
=======序盤の感想======

なんかよくよくみると、
いうほどそんな社会派って感じではない.

手垢まみれのネタしか扱ってなくて安牌な気がする.
切り口も手ぬるい.ナマクラ.
意地の悪さとシュミの悪さは同じではなく、今回はやや後者の感がある.

今のネタをやらないと.
オリンピックを古傷っぽい演出でやるのもどうかと.去年デショ.


=======最後まで見た======

冷静に考えるとディストピアっぷりが凄い.

この話には大きく2つの殺人と思しき事案が発生しており、そのうち解決した(報道された)のは片方の件だけである.

多分エピソードの選択の問題なのだと思うのだが、意図的かどうかわからないが「人が殺される」という等価なエピソードを「清濁合わせ呑む」の両面に配置したことで以下のように見えてしまった.主観だけど意図的なものだったら嫌だなぁ.

「(国家の)夢に向かっているなら目を瞑られる殺人は発生しうる」、という結論で終わって驚愕している.

マスコミ(長澤まさみ)と国家(鈴木亮平)が手をつなぐシーンはめちゃくちゃ悪趣味だ.
ゲッペルスとヒトラーの構図が爆誕した瞬間にみえるっていう.これを肯定的に描くとは。。
権力者のイヌを我々やりまっせという宣言にみえた.さすがフジテレビさん.


ツラの皮の厚さを世間にひけらかすのは気が引けたのかどうか、結構細かい配慮が仕込んである気もする.
自殺?した秘書の家族や被害者にあたる人物の視点は欠落しているし、
最後のカタルシスはちょっと安易というかすべてを目眩ますくらいに極端だったような.

演出のコントロールの問題と思う.大根さんはなんかどこまで理解しているのかわからない.


やっぱり前提としてジャーナリズムとはなんなのかということをきちんと理解するべきなんじゃないだろうか.
「清濁合わせ呑む」ということが100歩譲って許容されるのは、より大きな社会的巨悪を打ち倒すために限定される気がする.
このケースにおいては完全にそれが逆なのであって、この作品のメッセージはこの点でどう考えても間違っている.
同じように人が死んでいるのに片方に目を瞑る理由が全くわからない.

このポリシーのなさのもとでは、近視眼的に視聴者に「寄り添って」、結局天気と美味しいものとかわいい子しか画面に写せなくなる.
なんて野蛮で未開なんだろうと思う.豚小屋に餌を撒くのと同じにしか見えない.これを堕落と言わずしてなんと呼べばよいのか.

現実に目を向ければ、五輪の高橋氏が槍玉に挙げられてるけどgreater goodのために、目を瞑られてることは他にも沢山あるのだろう.そもそも安倍晋三のことがなければ宗教の問題だって国防のことだってどこまで世に出てるのだろう.

いずれも本来問題なのは「国民に降りかかる金の算段」ではなく、「こんな状況を甘受する政治家の品性、知性、能力の欠如」の筈なのに、金のことしか触れず、マスコミが権力者の存在をみえないものにするのは問題である.

その意味では、劇中で起きたことを照らすと、本来設定すべき課題としては何の解決も見ていないのではないか.えらく射程の短い近所で起きた連続殺人、だけが解決されて終わる.

「きみは日本にどんな影響があるかわかっていない」或いは「わかる必要はない」「わかった気になれ」といわれることを受け入れてこのドラマは終わる.

それでこの国の国民は、国民たりえているといえるのだろうか.

マスコミの「モラルの欠如」から「厚かましさ」へ切り替わった瞬間がこのドラマでは描かれたと理解している.
マスコミの人間はこれ見たら自尊心をくすぐられた気がして喜ぶのかもしれないね.私はそんな人間を軽蔑する.

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たかが一政治家を「途方もない権力」として徒に描写している点と全体主義めいた結論だった点がなんとなくまだ世に潜む風潮なのかなと思うなど.

現実はこんなもん或いはこれ以下なんだろうけど、作品なんだから現実を超越してほしかった.

この作品が素晴らしいと褒め称えられるなら、上記のマスコミと為政者の刷り込みは充分に達成されたと考えられるし、
このドラマはいわゆる「コンプラ」などという意味では全く問題にはならないとおもう.巧妙な茶番.
koyaaa

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