まぬままおま

silentのまぬままおまのレビュー・感想・評価

silent(2022年製作のドラマ)
4.0
目黒蓮のかっこよさと川口春奈のかわいさに気づかされ、ラブストーリーとしてキュンキュンしながらみてました。

聴覚障害/者をひとつの主題にしつつ、それを悲惨さだけでは描かず、普遍的な恋愛物語に昇華させたから多くの人が楽しくみれたのだと思う。そしてスマホのライトの点滅でメッセージの受信を知らせたり、音声アプリ、インターホンの代わりにライトの点滅をしようすること、映画館でのUDCastなど、気にも留めないけどドラマ化したからこそ知れた生活のことも多々あってとてもよかったです。

他者との距離について。それは昨今のコロナ禍と個人化によって、デジタルなコミュニケーションが発達し、「リモート」になっている。けれど想と紬は、障害によって電話ができないようにリモートなコミュニケーションが上手くできない。もちろん音声アプリなどでスマホに代表されるデジタルテクノロジーのサポートも受けているのだがーその共存のあり方もうまいー、彼らがコミュニケーションをするには、直接会わなければならない。顔や身体の素振り、手話で、伝えたいことを言わなければならない。「聞き取ら」なければならない。この近さは私たちに懐かしさを覚えさせる。と同時に、求めてもいて、必要な距離とも思えるのである。

「プリン」、「ずっと」。文字ではなく、あの手話が、イメージとしての「言葉」が届く距離に。想いをつむぎたい。

***
ひとつ気になるとしたら、恋愛描写についてである。想は湊斗と別れた紬と再び距離を近づけていく。彼らはコミュニケーションを何度も重ねて関係を深めていく。そして想と紬が両想いであることは確かである。しかしすぐには付き合わない。なぜならば想は、紬が自分と付き合えば障害のためにつらい思いをすると考えているからである。その理由は正当とは思いつつ、不思議に思ってしまう。紬だって、手話教室に通ってコミュニケーションをとろうとしているし、障害によるつらさを分かろうとしている。高校生の時のような「純粋な好き」だけで付き合おうとは思っていないはずだ。それなのに付き合わない。それは結局、紬の好きな気持ちに向き合う前に、自分自身の気持ちと折り合いをつけているとも言える。つまりここでの問題は、紬が自身を好きであるかより自分が自身を好きかであり、それが先行しているのだ。自己愛の問題。湊斗も実はそう。それは現代的で重要と言えつつも、それに固執してもいけないような気がする。

エゴイズムから始まる他者とのコミュニケーションと恋愛物語をつむぎたい。