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デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックスがマジで最高だった頃のFrengersのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

『あの頃ペニー・レインと』と同じ時期を切り取った音楽ドラマでありながら、何よりもまず青春譚として本作を見た。つまり大人になる上での通過儀礼の物語であり、特定の時間に存在していたモラトリアムの時代についての話として。現実にバンドマンがインタビューで「大人になることができない」と口にする人もいたり、超ベテランであり、最後に「Shine a Light」が使われるローリング・ストーンズのミック・ジャガーの様にいつまでも若く滾っているかのように振舞うことが、バンドとしての長生きすることのひとつの回答になった現在において特に刹那的に響く。実際「壊れている」デイジーとビリーというフロントマン兼ソングライターがこのバンドを駆動させていて、その原動力は過去のトラウマや脆さを表現すること。そして大人として葛藤を終え、まず生活を第一に考えることが出来るカミラやチャック(ex Ba)、ウォーレン(Dr)の様な人は周縁に配置される。大人なように見え、誰よりも早くパンクの存在に気付くほど音楽的センスに恵まれていたエディ(Ba)の二番手としての存在感はむしろ物語のムードを(描写の唐突さと相俟って…)非常に上手くリードする。過去を振り返るというスタイルは特にep10とリンクし、最後に知ることになる幾つかの仕掛けはかなり泣けた。

2010年代の優れたテレビシリーズの様な演出力は正直無い。70年代を再現する細やかな美術や衣装は丁寧には配置されず目立たない形で映され、照明や人物の配置、カット割り等々いい意味でも緩く画に力がない。ちょっと前のドラマってこんな感じだったよねっていうか。演奏シーンに幾つか素晴らしいショットはある。でも最後のライブのシーンの観客もステージもCGと同じ構図の画ばかりでもうちょっと頑張ってほしかった。その観客の描写に象徴するようにファンの姿がこのドラマには少し足りない気がする。「デイジー・ジョーンズ・アンド・ザ・シックス」がビッグになり崩壊するまでオーディエンスがほぼ出てこないのは不思議だと感じた。それ故バンド=バブルというニュアンスで疑似内幕ものという色が高まる。最終話、全米一位のバンドのツアーバスの周りにファンが居ないなんて。

一番好きなのはナビヤ・ビー演じるシモーンでした。彼女は欲望と愛情と友情を抑えることなく上手く切り分けて表現することが出来る。ディスコという次の時代の音楽の先端にいながら、彼女がはじめてゲイディスコ、パラダイスガレージで歌を披露する瞬間、そして観客が映し出され呼応するシーンが最も音楽を表現していたように思えた。
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