諭志

御上先生の諭志のネタバレレビュー・内容・結末

御上先生(2025年製作のドラマ)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

この作品の魅力のひとつは、「言葉の美しさ」です。御上(松坂桃李)をはじめ、登場人物たちは正しい言葉を使い、それだけでなく、言葉の選び方や伝え方まで美しい。褒めるとき、慰めるとき、叱るとき、責めるとき――言葉が正しくなければ伝わらない。聞いてもらえない。美しくなければ、心に届かない。

「3年A組」の柊(菅田将暉)が感情をぶつけ、心で考えさせる先生なら、御上は冷静に理屈で教え、頭で考えさせる先生。どちらも良い先生であることは共通しています。

第2話。神崎(奥平大兼)が語った「ケビン・カーターの行為を信じている」という言葉。あの有名な「ハゲワシと少女」を撮影したケビン・カーターは、世界中に貧困の現実を伝えました。しかし、その写真を見た一部の人々は「なぜ助けなかったのか」と彼を批判しました。そのことが原因で、彼は自ら命を絶ったと言われています。

実際には、あの少女は保護され、生き延びたことが確認されています。それを調べもせず、ただ批判する人がいる。彼の行動の意味や意図を考えず、安易に非難する人がいる。見たまま、聞いたままの情報を、そのまま肯定や否定して発言・発信するのは避けるべきです。あらゆる可能性をきちんと調べることが大切。そして、記者に限らず、一度調べ始めたら、最後まで責任を持って調べなければならない。自分にとって都合のいい事実を見つけたからといって、そこで調べることをやめてはいけないのです。

第4話。原爆投下について、日本とアメリカの認識の違い、学校教育の違い。倉吉(影山優佳)の「どちらも間違っていた。日本も早く戦争をやめるべきだったし、アメリカも原爆を投下するべきじゃなかった」という台詞。私もその通りだと思います。

アメリカが原爆投下前に通告を行っていたこと。そして、沖縄で多くの戦死者が出たにもかかわらず、日本がなお戦争を続けていたこと。こうした背景を含めて原爆の悲劇を捉えている日本人は、実はそれほど多くないのではないかと感じます。もちろん、「通告したからといって投下していいわけがない」「戦争を始めた時点で、どちらも間違っていた」という意見は正しい。しかし、単に感情的に批判するだけでは足りない。私たちは、もっと深く、複雑な背景まで踏み込んで考え続けなければならないのです。

倉吉とアメリカにいる同級生たちが導き出した美しい答えに、人類はいつか辿り着けるはず。そう信じています。

第10話。御上の授業で、「戦争はいけないことですか?」という問いが投げかけられました。戦争は、もちろんいけないことです。恐ろしく、悲しく、取り返しがつかないもの。一般市民を巻き込み、命や生活を圧倒的な暴力で奪っていく。だからこそ、いけない。しかし、それは議論の出発点であって、本当に考えるべきことはその先にあるのではないでしょうか。

私たち日本人は、学校教育を通じて戦争の歴史を学びますが、実際に戦争そのものを知っている人はほとんどいません。なぜ戦争が始まったのか、その背景にどんな複雑な事情があったのかを知らない人も多いのが現実です。「分かり合えないから」「あの領土だけは確保したいから」「相手が侵略してきたから」「資源を確保したいから」「主導権を握りたいから」――そんな、当事者にしか分かり得ない理由で争いは起こります。だからこそ、戦争はなくならないし、今も世界のどこかで続いている。

戦争には、簡単に答えを出せない問いがたくさんあります。その問いを、少しでも多くの人が考え続けること。それこそが、戦争を止めるための第一歩なのではないでしょうか。

また、「人が死ぬ」という事実に対して、どこまで想像し、どれほど悲しむことができるかは、人それぞれ異なります。事件や事故のニュースを知ったとき、戦争や紛争の報道を目にしたとき――それが自分の家族や友人であれば悲しい。日本人であれば悲しい。旅行で訪れた場所であれば悲しい。そうした「理由」があるときだけ、私たちは悲しみを感じやすいのです。無意識のうちに、「ここまでは悲しむ」「ここからは他人事」と境界線を引いてしまう。それ自体は、悪いことではないと思います。けれど、悲しい出来事が起きたときに「何がいけなかったのか」と考え、調べることはとても大切です。そして、それ以上に重要なのは、悲しい結末を迎える前に、「今、何が起きているのか」「何が起ころうとしているのか」に気づこうとすることです。何を調べれば、それが見えてくるのか。私たちはもっと必死に、知ろうとしなければならないのだと思います。

この作品を通して何度も伝えられた「考える」ということ。その行為は、ときに優しさとなり、ときに活力となり、ときに新たな気づきを生む。「自分は考え尽くした」と思ううちは、まだ考えが足りないのかもしれない。考え続けることで、相手のためになる行動ができたり、今まで気づけなかったことに出会えたりするのだと思います。

日本はまだ変えられていないけれど、隣徳学院3年2組は確かに変わった。あの子たちや、これからの隣徳学院の生徒たちが日本の中枢を担っていく。御上が60歳、80歳になったとき、日本はどうなっているのだろう。――あの世界の続きを、見てみたい。
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