三角

ウォーターボーイズの三角のレビュー・感想・評価

ウォーターボーイズ(2003年製作のドラマ)
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社会的に(教育委員会的に)禁止されているシンクロ(男たちがプールで裸で踊る)をそれでもやりたがる高校生男子たち、同性から過剰に煙たがられたり異性から憧れの眼差しを向けられたりする。ていうのは、ゲイの暗喩な気がして序盤は超クィアじゃんという動機で見ていた。
話数を追うごとにその雰囲気は薄まっていくのだが、代わりに社会運動の様相があらわれそれはそれでおもろい。同性愛と社会運動は本来切っても切れんところがあるのだし(ハーヴェイミルク、GET REAL)まぁ一貫してるとも思う。

もちろん主人公には好きな女の子がいるし、同性への感情に葛藤したりするわけではないのだが。制作者の狙いがあるわけでもないのだろうが、それでもこんなに"そう"見えるのはなんでよ…ていうのがむしろおもしろかった。商店街には様々な店があるはずなのにゲイバー…オカマバー…女装の男性たちの経営している店ばかり全面に出てくるのはなんでよ?そこでお父さんと出くわすのとか意味ありすぎるだろと思った。


公的世界に進出する直前、成人して異性と結婚することで社会を構成するのだというクソ保守世界観の前提に立つならば、その直前の高校3年では、身近にいる同性と親密な絆を育もう、というのは普遍的なものだと思う(夏目漱石のこころ的な)

シンクロは、泳ぎを競い合うものではなくみんなで息を合わせて泳ぎ人を楽しませるもので、そのようなもののために一致団結する男たちは素直に良いものだな…と思う。受験や父との確執という各人が抱える個人的な悩みに、他人は何をすることもできないのだが、ただ仲間としてそばに居てお前の悩みを知ってるよという姿勢も眩しすぎる。一方で仲間と一緒にシンクロ公演実現のために町の人や市役所の役人に働きかけていく姿も立派だと思った。
そのように、高校最後の一夏を描ききった本作は傑作だと思うし、インターネットが席巻する以前の良き時代の空気を反映していると感じる。


放送当時のこととか振り返って、このように青春という爽やかな言葉を免罪符に同性と親密な交流をすることに憧れた大人たちが大量にいたんだろうな…と思った。矢面に立って演じているのは当時20歳前後の役者たちであるが、企画の立案とかファンとかにはそれより世代10歳上くらいの男の人たちが沢山いたはずである。
私は今50歳くらいの世代のことが全くわからんといつも思っているのだが、このドラマを見ていた人たちが、それなのかも知れん…と想像してみることができた。

ネットない世界で、自分が何かを成し遂げたいと考えた時、町やご近所が働きかけるべき対象で基本的に男女別れていて大人になって社会に与するようになったら無難にルーティンをこなすつまらない人間になってしまう…ていう世界観。古き良きだなーっ…とすら思ってしまうのだがこのような人間が五輪を誘致したり渋谷の公園を破壊したりしてるとでもいうのか…という想像もできてしまった。
この…今までにないものを作るために頑張ろうという姿勢というか、それがだいたい興行とかに向かいがちで人権侵害とか草の根の権利獲得運動とかには繋がらん感じとか…同質の人間(同年代、同性)で固まってイチャイチャして絆を確認し合う仕草とか…現実社会がいま"コレ"なのってこのようなものばっかみんなやってる結果でもあるのだろうか…と思った。
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